27 初めてのファン タカミネギター登場  | 柿島伸次オフィシャルブログ powered by Ameba

27 初めてのファン タカミネギター登場 

ビブレのコーさんはいいライブがあると「今日のライブ絶対いいから見に来いよ!」といってライブハウスの中に入れてくれた。

そのおかげでたくさんのバンドやシンガーたちのステージを観ることができた。

これがとても刺激になった、サウンド、曲、歌詞、トーク、全て刺激になった。

 

それから弾き語りのライブをビブレで月一回くらいのペースでやらせてもらうことになった。

ライブ用にギターが必要になった、マーチンにはピックアップをつけたくなかったのでエレアコを買う必要がでてきた。

L-31Aはライブでは使い物にならなかった、あの文化祭から2回小ホールをかりてバンドライブをやったがそれからは出番がなかった、そして洋楽を聴くようになってから弾かなくなってた。

 

またまた御茶ノ水の楽器店に探しに行くと見つけた、タカミネだ、あのタカミネ、今でもお世話になってるタカミネ。

黒のボディーに赤のラインがはいったやつ、確か8万円くらいだったと思う。

 

録音機材、マーチン、タカミネとローン地獄なのだが、気持ちはハッピー天国なのだ。

「そうなのだお金は音楽のために使うのだ、それが俺の人生なのだ」と口には出さないけどそう思って生きていた。

 

弁当配達の時給はいい、その代わりかなりの肉体労働だからキツイけど、夢があるから辛くない。

弁当配達の時給は1,400円だった、そして弁当一個につき2円くらいついた。

目の前ににんじんがぶらさがってるウマだ、そうウマだ、うまどしだし(韻)。

 

かくしてマーチンは家で弾いて、タカミネはライブで弾くというスタイルになる。

忘れちゃうといけないので今書いておこう、タカミネは今の歳まで計7本使ってきた。

 

当時のピアノはヤマハCP80だった、サスティンペダルが外れたり最初はなれなくて弾きにくかった。

途中からローズのエレピに変わった、便利だったんだろうけどCP80の方が断然色気があった。

僕が弾き方を知らなかっただけでCP80は世界的な名機なのだ。

 

友達じゃない知人じゃないファンの人が聴きにきてくれるようになった、そして毎回みにきてくれるようになった、こんな経験ははじめただった。ファンになってくれた人第一号(笑)、その人の名前はまだフルネームで覚えている。

今どうしているだろうか?元気かな?これを読んでいてくれたら嬉しいな。

ユーちゃん!元気?あれからずっとやってるんだよ!今度30周年記念ライブやるんだよ!