18 横浜ビブレで初ステージ
これまた19歳の時、弾き語りをやりながら「スーパーバイタリティー」というバンドを組んでた。
ヤマハ日吉スタジオにいたジュンさんが「お前ら元気いいからスーパーバイタリティーにしよう」といって命名してくれた。
ジュンさんはその後、誰もが知るビッグアーティストのプロデューサーになってビックリしたことを覚えている。
7thアベニューライブの後スーパーバイタリティーで横浜LIVE SQUARE VIVREでライブをやった。
横浜LIVE SQUARE VIVREは当時登竜門的な憧れのライブハウスで、のちに大活躍するバンドをたくさん輩出してた。
このライブ、お客さんもノッてくれてすごくいい感じで出来たと思った。
ライブハウスのブッキングをやっているコーさんに感想を聞きにいったら、
コー「まぁまぁなんじゃない、演奏もみんなどっこいどっこいだよね、もっと練習しなよ」
その表情から「これでおしまいね」が聞こえた。
「もっと練習してくるんでやらせてください」ともう一度ステージをお願いした。
毎週ビブレの野外ステージでイベントをやっていた、そこに組み込んでもらった。
これもすごくいい感じに出来たと思ったけど、コーさんの感想は前と同じだった。
確かにコーさんの言う通り学生気分が抜けないままステージにあがってたかも。
……これ、気持の問題だ、そう確信した。
メンバー4人集まってこれから先のことを話した。
19歳、就職、大学、いろいろとある年齢、ドラムのカズヤと僕だけがプロを目指そうと言ってバンドは解散。
全国どこでもあったワンシーン、バンドをやってると必ず出くわすシーンだ。
カズヤとは23才くらいまで付き合ってたけど、それぞれの道を歩き出した。
鍛えなきゃ、どうやって?とにかく鍛えるんだ。
こんな想いの毎日だった。