「終戦記念日」他の言い方を考える
長い間「終戦記念日」と何の疑いもなく言ってきた。
「終戦記念日」という言い方は俯瞰で見た言い方、
何か他人事のようで歴史を調べるたびにしっくりこない。
国内各地での大空襲でひどく痛めつけられ南方に出兵した兵士は60%が餓死。
沖縄は地上戦になり4人に1人が犠牲に。
広島と長崎に世界初の原子爆弾が投下され21万4千人が犠牲に。
神風特攻隊や人間魚雷回天による命を捨てた体当たり。
国民の生活は配給制で食うものも食えず飢える国民。
政府に抗う国民は治安維持法で捕まり、思想と言論が弾圧された。
日本人死者は310万人(軍人・軍属が230万人、民間人が80万人)
「もう無理だ、絶対に勝てない、負けを認めなくては国自体がなくなる」そう思い負けを認め世界に発表した日。
終戦記念日、他の言い方を考えてみる。
「ギブアップの日」「敗戦承諾日」「敗戦記念日」「ここから反省しよう記念日」……。
「どうしてこうなったのか」「なぜこんなことに賛成してしまったのか」
を検証反省する言葉を使うことが大切なんじゃないだろうか?
「むかしむかしこんなことがありましたと」いう言い方はやっぱり他人事だ。
これからも絶対に戦争に参加しちゃいけないし応援してもいけない、戦争を止める努力をしなきゃいけない。
勇ましい言葉に酔って大切な宝ものを手放してはならならい。
77年目の8月15日にあらためて想いを綴っておきます。