夢十夜。 | 柿本小夜のブログ

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いろんなことを……。
晴れやかに、やわらかく、たおやかに。
そんなふうに……。書ければいいな。(苦笑い)こ(f^^;)

夢十夜という作品があります。

この作品は、ある意味私の中では、すごくプログレッシブな感覚があるんですけれど。

意味はありません。

感覚ですから。

でも、夢を通して夏目漱石は何を言いたかったのでしょう。

夢とは?

ということではありませんが、何となく夢に対しての思いが

あのような作品になったのかな?と思うのです。

私の中にも「夜」という漢字が入っています。

夜って、日のない影の世界でもあるのかなって気がします。

だから、夢も現実の裏返しなのかもしれないって気がするのです。

嘘ではないけれど。

現実でもない。

だから夢?って決めつけるわけでもないですけれど。

夢がなければ、想像することだってできないような気がするんです。

思い描いたことは、見えていることや、現実にあることではないですけれど、

でも、現実を夢に近づけることはできるのは、確かなような気がします。

このように、思いを誰かに伝えているのも昔からしたら

あり得ない夢のようなことなのでしょう。

映画の中の世界であっても

現実にない本当にないものは、描きにくいのでしょうと思ってしまうのです。

現実にあることを誇張したり、大げさにしたり、あり得ないけれど

映画の中なら・・・。

許されることは多いのでしょう。

夢は、思い描くもの?

それとも現実に目の前に見せるもの?

その答えはわかりませんが、日々眠りに落ちて

その「夜」の中で見る

夢の世界は、一瞬であっても

時間を超えて、永遠にあり続ける物語のようでもあるのかも

しれないって勝手に思っていたりします。

その見た夢は、誰でもない

私だけの物。

こんな夢を見たって

教えて?

夢って意外に覚えていないことの方が多いのは

なぜなのでしょう。

忘れてはいないし見た気がするのに。

ぼんやりとして、何がどうしてどうなったのか

さっぱり解らないことが多い気がするのです。

ストーリーがあるわけでもなく、ただただ追いかけられていたりすることだってある気がするのに。

いい夢って・・・・。

何なのでしょうね。

私たちが日々生きているこの時間さえ

夢のような時間だった?

気がするときがあるのです。

過去は戻っては来ませんが、

その過去から今現在の私をたどったとき

どんなにも長い時間だったのかさえ

忘れてしまうほどに、経過した時間が

あったはずなのに。

1年という時間は長いですか?

さほど長くないとお感じですか?

私には、過ぎた時間があまりにも早いって思うばかりで

未来に残された時間の長さなど

計ることもできないですけれど。

夢はその時間の長ささえ超えて。

自分の時間は限られているけれど、

世界の時間は、今まで36億年?

私たちは、せいぜい100年・・・?

カモしれない時間の中で生きている。

ゆめは、見る物ですけれど、

描く物でもあるのかも。

宮崎駿監督の「ぼくたちはどう生きるか」って作品を見たときに

夢って?

超えられない物を超えていくことなのかしらって思ってしまったのを

強く感じました。

新たなる夢は・・・野望なのかもアハハハ。

見尽くせない夢をどれだけも。

終わらない夢だから

ゆめなのかもしれないって、感じますわってね。