ブラタモリ 松本城 | おおとり駆の城日記

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子供の頃からお城好き 今までに巡ったお城の感想 その他どうでもいい趣味のことなどあれこれ綴っていきます

先日放送されたNHKの人気番組「ブラタモリ」で松本城がとりあげられました。



タモリさんにとって松本は学生時代毎年クリスマスにジャズの演奏で訪れていたという素敵な思い出の地だそうです。


ブラタモリでは毎回お題が設定されますが、今回は「国宝・
松本城はなぜ愛された?」というものです。

まず天守の謎について学芸員の方から解説を受けるタモリさん。

松本城天守は、国宝5城の1つに選ばれています。その理由のひとつが複雑な構造の天守。これは、どのように出来たのでしょうか?
松本城の天守は大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の五棟で形成された連結複合式と呼ばれる様式です。
城主が何度も変わり、増築されていることが、その理由です、と学芸員の方から解説を受けます。豊臣秀吉の家臣・石川数正が大天守と右側の乾小天守、徳川家光の時代に松平直政が左側の辰巳附櫓と月見櫓を増築しました。


またあの武田信玄も松本城とは深い関わりがありました。
信玄は信濃侵攻への足がかりとして、1550年から32年間松本(当時は深志城)を支配しています。松本城は守りが弱い平城ですが、なぜ信玄は松本に目につけたのでしょうか?


タモリさんたちは、城の北側を歩きます。
古地図を片手に石垣の切れ目や木橋を確認し、現在公園となっている堀の跡を訪ねます。堀の跡には、自然の湧水が沸いていました。


松本では街中いたるところに井戸や湧水を見ることができます。

『平成の名水百選』でも「まつもと城下町湧水群」として認定されています。
山城では得にくい湧き水が豊富なことが、信玄が松本に目をつけた理由の1つです。


「若返りの水」を浅野里香アナウンサーが飲んでみたいです、
というと
十分若いじゃない!俺が飲むよ!とタモリさん当然のツッコミです。

商店街の中を通っている車道横の幅1メートルほどの用水路の中にはなんとニジマスが生息しています。



城の東側には、水門がありました。水切り土手と呼ばれ、一度水をせき止め、水位を調整する役割がありました。古地図を見ると、水門は計4か所。
実は松本城の周辺は完全に平坦な土地ではなく、北東が高く、南西へ向かって傾いています。
従って、堀の水が偏らないように、水門で調整をしていたのです。

ブラタモリは単なる旅番組ではなく、地質学的な視点でタモリさんがその土地の地層や地質を観察することが売りです。


傾きがあるということは、松本が扇状地であることにタモリさんは気が付きます。


その扇状地の先端(扇端)にあたるため、地下の水が地表近くに上がってくることで水が湧くのです。さらに、ひとつの扇状地ではなく、北側と東側から流れる複合扇状地になっていることが松本の特徴です。


松本城の南東、女鳥羽川周辺。
女鳥羽川は、直角に曲がる場所があります。ちょうど松本城の南側、東側を流れることとなり、天然の堀として、松本城を守る役割を果たしてきました。


直角に曲がる理由には二つ説があります。
・人工派 当時の技術なら流路を曲げることは可能
・自然派 女鳥羽川の流路が東側の扇状地に押されることで曲がった。
タモリさんもどちらとは判定できずに引き分けに終わりました。


ここは善光寺街道と野麦街道の分岐点です。
松本から北へ向かう善光寺街道も武田信玄が松本に注目した理由です。
善光寺の手前には、上杉謙信と何度も決戦を挑んだ川中島があります。
また、武田信玄は、西の飛騨への勢力拡大も狙っていたことで、この地を重視したのです。


松本城の西側
西側には段差があります。始めから段差がある場所に堀を作るのは、比較的容易です。
段差とは、断層の場所。断層の存在が、松本城の位置を決め、街道を東に押しやったと考えられます。

松本は「糸魚川-静岡構造線(通称:糸静線)」が走り、構造線には断層が多く見られます。
武田信玄は断層に導かれて、甲斐から松本へやって来たのかも知れません。

姫路城の回ではお城にはあまり興味がないと言っていたタモリさんですが、今回松本城の周りをぐるりと歩いてみてお城の魅力も認識していただけたでしょうか。


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