上野と信濃の国境、碓氷峠の西に位置する浅間三宿は、中山道を行く旅人たちにとって重要な宿場町でした。東から軽井沢宿、沓掛宿、追分宿で追分宿で北国街道と中山道が分岐していました。軽井沢は、明治時代に入ると別荘地として有名になりましたが、開発に伴い当時の宿場町の痕跡は消え去り、僅かに残された遺物から当時の面影をしのぶ程度になっています。追分宿は中山道と北国街道との分かれ道で交通の要衝でもあり、旅籠も茶屋も多く、三宿の中でも大いに賑わった場所でした。旧街道には分去れの碑、一里塚、高札場跡、石仏などがあり、枡形の茶屋「つがるや」が往時の面影を伝えるのみです。

地図 ‐ 中山道追分宿旧高札所
軽井沢町
撮影日2022年04月06日

 


追分宿

追分宿 分去れの碑 右が北國街道、左が中山道

追分宿 高札場跡

枡形の茶屋「つがるや」

枡形の茶屋「つがるや」

浅間山 御代田町から