志波城(しわじょう)は、平安時代に桓武天皇の命を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂によって造営された陸奥国最北・最大級の古代城柵跡で、現在は盛岡市によって歴史公園「志波城古代公園」として整備されています。

城柵(じょうさく)とは,奈良時代から平安時代にかけて,当時エミシと呼ばれていた東北地方の人々を朝廷が統治するために設置された行政府(役所)です。平安時代の初めに北東北にはいくつかの城柵が造営され、延暦20年(801)頃 横手盆地の 払田柵、延暦21年 北上盆地の胆沢城、延暦22年 志波城、弘仁3年(812) 徳丹城です。このような大規模な城柵が連続して造られたのは、朝廷の積極的な領土拡大政策によるものでした。
北東北では774年から811年にかけて、いわゆる「三十八年戦争」が行われ、北上盆地の蝦夷は朝廷の統治下におかれることになりました。その拠点として造られたのが、胆沢城や志波城です。
志波城は、古代陸奥国(むつのくに)最北端・最大級の城柵として、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)により、延暦22年(803)に造営されました。しかし、造営後約10年後、雫石川の水害に遭い、その役割を徳丹城(矢巾町)に移しました。
「志波城古代公園」には、遺構の真上に、外郭南門、築地塀、政庁の南・西・東それぞれの門、官衙建物などが復元されて当時を偲ぶことができます。
志波城跡は東北の古代史上重要な歴史遺産として、昭和59年(1984)国の史跡に指定されています。

地図-志波城
国指定史跡志波城跡・志波城古代公園 盛岡市
盛岡広域タウン情報 盛岡観光
2019-11-20

志波城古代公園

外郭南門

復元竪穴建物

志波城柵レリーフ

撮影日:2019年09月30日