「アイデンティティの崩壊」

昨日のMOMED FESの始まりの
ハピちゃんからの言葉。


ハッピー理論を好きになり、
ハピちゃんの発すること
創る世界を見て感じてきて
自分の思い込みや思考の偏りに
だいぶ気づけるようになってきた。

存在状態、周波数、感度、
質量軽くとか
配信された内容を意識して
生活もするんだけど…

生活って色々で。

そしてハッピー理論だって、
コレ!っていうのだけじゃない。

色んなものの複合、
かけ合わせで成り立っていて。
(つまるところは同じなんだけど)
(言葉にすれば、ね)


だからさ、
ひとつひとつわかってるつもりでも、
何かを忘れていることもある。


あ、コレってあれのことか。

あ、コレってハピちゃんの言うやつだ。

あ、そっか周波数着替えてるんだ。



たくさん忘れてた。

いや気づかない、っていう
言葉が合ってるのかもな〜

わたしのアンテナは
キャッチするスピードが鈍めなので。




その複合されている
色んなものを
昨日のFESでは感じました。

ハピちゃんは今、どんな感覚かな。
なにに着替えてるのかな。

細胞の震えが伝わるって
こんな感じかな。

今、どんな存在状態なんだろう。




私はこう!ってガチガチにかためて
まっすぐぶつかりながらでも
進める人もいるし、
ガチガチのままで傷ついてうずくまる人もいて。

それは過去の私だし、
もしかしたらこれから出会う人かもしれない。


でも実際に、
静かなわたしもいれば
フー🫶と叫びながら飛び跳ねるわたしもいる。

ハッピー理論を腑に落とし、
穏やかに過ごせるわたしもいれば
ソースとのつながりから外れ、
自分を責める私もいる。


どれも私であって、
どんなわたしにもなるし、なれるし。





こうなってくると
マジでアイデンティティの崩壊だよね。


小児領域の看護教員だった私は、
アイデンティティの確立を授業で教えながら
私のアイデンティティって?って
考えることもあった。

そしてブスのアイデンティティは
強く握りしめていたりして。



なんかさ、
ブスのアイデンティティは
要らないもの、ダメなものって
感じてしまう心がまだあるんだけど。

そうじゃないんだよね。


アイデンティティって
あるようでなくて。

そして社会の中で比較して
できてしまったものもたくさんあるし。

変わっても変えてもいいものだし。


そう考えると
自分の可能性や自分の創る世界が
どんどん広くなるのを感じるよね。

本当に色んなものの
境目がない。


今電車のなかなんだけど、
めっちゃファンデ直して
アイメイク始めたお隣さんもわたし。

(きっと今しかできないからやってる)
(大事な商談の前に気合い入れてるのかも)




昨日のFES終わりは、
念願の焼き鳥と
友達の撮ったFESの動画を
味わって味わって。



終わりだけど終わりじゃない。

終わりだけど始まりで。
そして日常である。

そんな感覚になって。
ますます幸せな体感に
満ちていることがわかりました。

最高過ぎた〜

そしてそれを超えてるから、
もはや平穏で静寂
冷たくなくて、ちょうどいいの。



私は今ここから、
4時間弱移動した先の
わたしのくつろげる地元で

看護師としての私や
娘としての私。

43歳が近づいて
ウキウキしているわたしを
生きるんだ。


隣の人が振る化粧品が飛ばないか、
ちょっとドキドキしたけど
颯爽とカバンにしまって出てった!

来た時付けてたマスクも外してった。
かっこよ。



色々忘れてしまうのは
人間として備えたシステムだから。

忘れちゃった!あらあらって
言いながら、
日常を楽しんで生活していきます。


これも日常の一部🫶


ハピちゃんとご一緒してくれたみんな、

FES終わりのご飯を

一緒に楽しんでくれた友達に、

たくさんの愛と感謝を。


何より、

この場所にわたしを連れて行った

わたしにたくさんの愛と感謝を。





ありがとう



大好き