これについて

 

考えています。

 

今、勉強している心理的安全性の講義で

「自分を‟問題の一部”に入れること」が出てくるんですね。

 

 

その例文に

 

 

「なぜ、あの人は協力してくれないのか?」

「私たちは、あの人がぜひ協力したくなるようなアプローチをしたか?」

 

 

というものがでてきて。

 

あ、私、みんなが協力してくれないって思っているなと気づいて。

 

今、私が声をかけている状況なので、

ずっと自分が問題を抱えている感覚があって。

 

そして自分はリーダーをやらない(やれない)から

なんで私が(←これ私のお得意な思考)っていう思いを抱えていて。

 

みんなが好き放題いうから余計、

みんなにけんか腰に反応していたなって思いました。

私はできないんだからちゃんと自分事にして考えてよ!って思っていて。

 

 

 

 

みんながぜひ協力したくなるようなアプローチをできていたか?

 

…できていないな無気力

 

 

 

では協力したくなるアプローチはどのようなものがあるか。

 

それが思いつきません。

 

 

助けてほしい、とは思うけど

困っていますとは発信しているけど。

 

それでは今まで通り。

 

みんながぜひ協力したくなるようなアプローチ…

答えがでません。

 

 

 

そんな私にも声をかけて助けてくれる人はあって。

 

もちろん全員がそうなることは困難かもしれないけど。

 

実際に活動が遅れていることは事実。

 

危機感、私だけが持っているのかな。

 

みんなどうでもいいのかしら。

 

 

今の私の悩みの種ですクローバー

解決の花が咲かないかしら。