昔、小学生高学年くらいの頃。

千秋城下町のあたりに、たい焼き屋さんがあったよなと思って調べてみる。

 

一件だけ情報がヒットしてたまげる。

全国のたい焼きの生息地についてまとめられている。

最終更新は2010年12月21日のようだが、

確かこの頃には「たい焼き きた」はとっくに閉店していたはず。

なんだったら中学に上がる前くらいには無くなっていた気がする。

 

取り留めもない回顧と備忘録。

また、日付が空いてしまったね。

2年半同棲していた彼女と別れたり、飼い猫が死んだり。

また彼女ができたりと慌ただしい日々。

 

昨夜はボスと打ち合わせで帰宅は午前2時半。

シーバスリーガルのミズナラ12年、おいしゅうございました。

会社の体制の話、裏との距離感、青森市の除雪事情など。

 

未だ酔いも冷めやらぬ頭でぼんやりとメルカリ。

宮崎奈穂子「ひげおじさんのパスタに会いに行こう」を買う。

20歳の頃に東京へ出かけたときの思い出だ。

ローソンの店内BGMとして流れて気に入った曲。

ニコニコ動画で未だに見られるPVも良い。

 

もずくのこと

 

2026年1月5日の午前0時頃、飼い猫のもずくが息を引き取った。もともと白血病を患っている猫だった。

 

体調を崩したのは、おそらく12月19日頃だったのだと思う。全くと言っていいほどごはんを食べなくなり、一日中まるまっていた。 その頃の俺は、高知から知人が来ていたこともあって、連日のように外で酒を飲み、泊まり歩いていた。もずくの異変にちゃんと気づいてあげることができなかった。自分の楽しみを優先せず、もう少し他者を慮る気持ちがあれば、何か変わっていたのだろうか。

 

12月23日。別れたばかりの彼女が荷物を取りに来たとき、彼女の指摘でもずくの異変にはっきりと気づいた。寒さに震え、自力でトイレに入ることもできなくなっていた。

 

12月25日の午前中に動物病院へ連れていき、5日間のインターフェロン療法が始まった。点滴と下痢止め、合わせて3本の注射。もずくはぐったりとしていて、注射を嫌がるそぶりも見せなかった。 29日、5日目の注射。相変わらず食べないままであったが、注射を嫌がって鳴くくらいの元気は出てきたようだった。

 

1月4日、正月休みが明けた病院へ。食べられない状態が続くため、追加でステロイドの注射を打つ。これをあと3日間続ける予定だった。

 

もずくが息を引き取ったとき、元彼女にも一報を入れた。 彼女はすぐに泣きじゃくりながらやってきた。亡骸を見てまた泣き出す彼女の後ろ姿を、俺はぼんやりと見ていた。悲しくないわけではないのに、涙が出てこない。それどころか、亡骸の安置や葬儀といった「次の段取り」を考えている自分に、強い罪悪感を覚えた。

 

二人でもずくの体を拭き、毛並みを整えてあげた。 「猫ちぐらも用意したけど、結局この段ボールが一番お気に入りだったよね」 そう言って、段ボールにブランケットを敷いてあげた。最後まで何も食べられなかったから、チュールとカリカリ、それからもずくが妙にハマっていたマタタビの枝も一緒に入れた。 「出会ってくれてありがとう」「大好きだよ」 もずくに声をかける彼女を見て、本当に優しい人なんだなと思った。その後、彼女は思いのほかあっさりと帰っていった。もう別れているのだから、それは当然のことだった。

 

時計は深夜2時を回っていた。数時間後には仕事始めの朝が来る。 仕方なくシャワーを浴び、顔を洗っていたときだった。もずくと出会ったときのことや、これまでの出来事が急に思い出されて、声を上げて泣いた。 もっと早く病院へ連れて行けばよかった。もっと一緒にいて、もっと遊んで、もっといいごはんを食べさせてあげればよかった。 頭では「どうしようもなかった」と分かっているのに、後悔ばかりが溢れて止まらなかった。

 

その夜、心臓が止まっているはずのもずくが生き返る夢を見た。アニメの「さんかれあ」から着想を得たような、幼稚な空想だ。けれど、そんな夢を頼りたくなるほど、もずくがいないリビングは、どこか広く感じられた。