今日はむしゃくしゃことが発生して、外にとにかく出ないといけなくなり、ちょっと躊躇したが、六甲ヒルクライムに行けることろまで行こうと考えた。
ルートは、阪急逆瀬川駅からの登攀だ。
季節は、ちょうど快適な状態なので、7月に行ったときよりは条件がいいと思った。
逆瀬川からの登りは、前半は楽だった。以前も何度か来たことがる。
宝塚西高前の公園でトイレ休憩し、いざ出発。
盤滝口の交差点は、順調にクリアーし、先を進む。勾配がきつくなってくる。リア28ギアでペダルを踏むが、勾配が増すと8kmぐらいのペースになってくる。
毘沙門橋は通り過ぎ、いよいよエアピンカーブに差し掛かる手前で、気が代わりUターンした。
やはりがまんできるペースにはなりえなかった。
むしゃくしゃした気持ちのほうがそれをふきとばそうとするパワーで登りきれるかと思ったが、逆だった。
ダウンヒルでは、たくさんの自転車が登ってきているのを見て驚いた。
しかしもう一歩で完全完走できるかということがわかったので、今年中にはリベンジしよう。
そのまま元来た道を下る。
そしてとにかく海を目指した。ひたすらまっすぐ夙川方面にまっすぐ下る。
途中、緑化植物園に立ち寄って、100円のセルフティーを飲む。
ここで癒されるかと思ったが、そうでもなかった。
またそこから南に下る。ここはクルマが多く、道も狭い。自転車の入る余地がないところだ。
なんとかJR桜夙川を過ぎ、阪神打出を過ぎるとすぐ堤防が見えてきた。
しかし昼食のためコンビニをさがしたが、周辺にない。
それで甲子園浜の方に移動する。
しかし堤防ぞいにはつながっていないので、また北に進路を変え、今津をめざす。
なんとか途中でローソン発見。すでに1時まえだったので、残っている弁当は少ない。
なんとか和風の弁当を見つけ、それを買い、甲子園浜をめざす。
途中今津、やまとの湯が見えた。その交差点を右折する。しかし結構遠かった。
西に見える六甲と青空と雲がきれいだ。
砂浜はきれいに残っているが、対岸に埋め立て地と高速道路が見えるのが、難点だ。
海では、さかんにボラらしい魚がジャンプしていた。
しばしうたたねし、一人でその場所を独占するのはしのびないので、近くの公園に移動し、大きな木の下で安眠。
ところが、すぐ横に運動場があるのに、休んでいた外側の空き地にわざわざ少年野球の指導者と子供たちがきて、キャッチボールをしだす。ちょっと違反だろう。
しかしそのまま居座っていたが、そのうちコーチがノックをしだす。
「おいおい」という感じだ。
とにかく時間もたっていたので、そこを立ち去った。
そのあとどうしようと思ったが、逆戻りし、やまとの湯に入湯することにした。
これは結果的には癒された。
休憩場所で寝ている人、何か書き物をしている人、食事をとっている人などのどかだ。
さてここからどう帰るか。
国道43号線に入って、武庫川で右に進路を変え、サイクリングロードを北に進むことにした。
43号線は一番早い。サイクリングロードも以外と早く過ぎた。
山幹線の橋に出て、右折し、あとは家まで10分ほどだ。
家に帰って、地下収納庫にこもり、明日の演奏に向けて、キーボードに向かう。
納得がいく段階で、地下に保存している自分の1985年ごろからの日記を見つけ、読みふける。
ところどころ年数が切れているが、読み返してみると、結婚直前の気持ち、様子、子供が生まれてからの悪戦苦闘や30代、40代半ばで行き方に悩んでいることが書かれている。
ただ、18年ほど前から自転車にのめり込むが、前日深夜まで会議があり、翌日の朝6時ごろから家を出て、自動車での移動だが、丹波篠山のヒルクライムをしてことが書かれていたりする。
子どもが小さいとき、家族旅行を習慣化し、龍野や城崎を旅行し、小学生になってきたころは5年以上連続で岡山蒜山高原に年末か正月スキー旅行で出かけた。
おかげで全員スキーができる。
それにしても仕事も子育てもがむしゃらにやってきたことがよくわかる。
しかし携帯電話もなく、パソコンなども家庭でもっていなかったときを生きてきたのだ。
だから日記が手書きで大学ノートに記録している。1992年で日記は終わっている。
しかし自分の青春から30年の人生を思い出した。