大曾根本通り商店街の一角にて:大曾根の歴史等 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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今朝は、

早朝散歩で、

大曾根駅の西、大曾根本通り商店街に向かいデジカメ。

 

☟壁画

☟シャッターアート

☟コンクリート造りの店舗ばかり…何となく異国のような感が??

(付記)

大曽根本通商店街の歴史

昭和38年に大曽根本通商店街振興組合として正式に発足。
昭和40年には本通の商店街区域にアーケードが完成し

大須商店街・円頓寺商店街と共に3大アーケードの商業地点として発展。

  

昭和54年の名鉄瀬戸線の栄乗入れ…ターミナル的性格が次第に弱くなる。

昭和38年の土地区画整理事業都市計画決定に基づき昭和58年に大曽根近代化推進協議会が

発足し街づくりの基本構想が発表される。

名古屋市計画局の主導により商店街分断・また各店舗の移転交渉などが行われ組合員の件数

が激減。

平成13年に大曽根土地区画整理事業をすべて完了するという名古屋市との約束により、

平成9年にアーケードをすべて撤去。

平成18年12月に大曽根区画整理事業が完成。

(追記…1)

↓昭和62年頃の大曾根商店街

(追記…2)

「大曾根」の町名の由来

↓北区誌539ページより抜粋…平成6年2月発行

曽根は、城下、市場などから約1里離れた北西、北東方角の土地などに名付けられている

ことから、あと1里で町に入る意味といわれている。

また、

海岸や河川の磯根、底根という意味もあり、

この説によると、昔、矢田川が名古屋台地(熱田台地)北側の崖の付近を流れていたことにも

よると考えられる。

↓東区史84ページよりスキャン…昭和48年8月発行

(追記)

今朝フォト:第63回 大曽根七夕まつり

 

(日めくりより)

今日(30日)

『学問に近道なし』 

 👅 👅

学問を修めるためには、ひとつひとつの基礎の積み重ねを学ぶことが必要であり裏技はないということ。

 

(18,291歩)