志賀(名古屋市北区)…地名の由来 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

私「洋ちゃん」の新聞切り抜き綴りから、

下記の資料を取り出し、

参考にして、

志賀(名古屋市北区)の地名(町名)等を調べてから、

この地区辺り一帯を散策してきました。

     記

※新聞記事をもう少し詳しく、

綿神社(北区元志賀町2丁目53-1)は、

弥生時代前期、北九州筑前国(福岡県)の志賀島(しかのしま を本拠とする

阿曇族(あずみ/安曇族)の人々が、海を渡って日本各地に散らばり、

その一部がこの地にもやってきて故郷で祀っていた海神・綿津見(ワタツミ)

を祀ったのが始まりとされる。

 

北区には現在、

「志賀」を使用している町名は次の5町内あります。

志賀町 志賀本通  志賀南通 元志賀町 西志賀町

※私の調べです…上記、新聞記事の地図参照

 

志賀の町名の由来

▼北区誌より

志賀の名は、

かな書きの地名で、水辺にあって、もとは波の皺(しわ)をさすといわれる。

また、

志賀は「湿(しる)き陸」の略で、

賀は住所(ありか)の「か」だから、志賀の里は湿地帯であったといわれている。

▼名古屋の地名よりスキャン

▼資料より

 

🔶北区誌 144~149ページ「志賀村」より要約

集落は、木曽街道沿いの村で御用水と大幸川とが交差していてたびたび氾濫していた。

 

🔶志賀(北区)でデジカメ

   

 

🔶新聞記事に記載のある場所

「貝田町」…西区貝田町一丁目58:西志賀遺跡

☟参考に

「綿神社」…北区元志賀町2丁目53-1

☟参考に

 

🔶参考に…尾張名所図会➡綿八幡社:兒宮が描かれています。

※図会より、この辺り湿地帯であったと推測??

☟上記の尾張名所図会に記載の「兒子社(稚児社)」に立ち寄りました。