先日(23日)
私「洋ちゃん」通学中の鯱城学園、某クラブの校外活動で、
桑名市を訪ねました。
桑名市観光ボランティアの方に
紹介して頂いた施設順についてブログします。
その1…❶海蔵寺:➋通り井:❸蔵前祭車庫について
❶海蔵寺(桑名市北寺町10番地)
薩摩義士の墓所があるお寺
海蔵寺は、天正2年(1574年)ごろに創建された曹洞宗の寺院。
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宝暦3年(1753)に幕府より薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられた。
宝暦5年工事は完成されたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から工事総奉行平田靭負は自刃しました。
これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬され、ここには平田靭負他21基の墓石が現存し市指定史跡となっています。
➋通り井
江戸時代の初め、桑名城の築城とともに城下町の町並みも整備されるなか、水の確保が緊急課題となりました。
4代桑名藩主、松平定行(さだゆき)は上水道の建設を命じ、1626(寛永3)年より着手したのが「御用水道」、通称「町屋御用水(まちやごようすい)」です。
桑名は木曽・長良川の河口に位置し、元々は海であった場所に泥や砂が堆積してできた低湿地帯のため、水質が悪く飲料水を得るのが困難でした。
そこで町屋川から水を引いた水道をつくり、町内の主要道路の地下に筒を埋め、所々の道路中央に正方形の升を開けて、一般の人々が利用しました。これを「通り井」といいます。
「町屋御用水」は、町屋川を水源とした全長約2kmの水道です。
町屋川から吉津屋御門(今の鍛冶町・旧ふれあい教室)まで開渠(かいきょ)で通され、ここから先へは地中の樋管(ひかん)を通って城内及び城下の町へ水が運ばれていました。
こうして「町屋御用水」は、明治時代に近代水道(諸戸水道)が開通するまで約280年間もの間、桑名町民の生活を支えていました。
1962(昭和37)年、工事のため道路を掘っていて、「通り井」跡の一つが発見されました。
現在は道路面に「井」と書かれた石がはめこまれています。
❸蔵前祭車庫
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(参考)
2024年2月7日に追記する
❶海蔵寺の関連です。
桑名市内にある九華公園を訪ねた際、
園内に『宝暦治水』
の案内(説明)看板が建っていました。
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