八幡社(児子社)…北区志賀町1丁目65 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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朝、

早朝散歩で、

北区志賀町1丁目65にあります

八幡社(児子社)(はちまん-しゃ(ちご-しゃ))

を訪ねる。

 

酷暑のため朝5時15分頃に家を出発。

我が家からゆっくい徒歩で50分弱で着く。

 

八幡社(児子社)について

南鳥居の前の社号票が「八幡社」拝殿前の社号標に「児子社」とあり。

神社本庁への登録社名は八幡社で、祭神は應神天皇となっている。

昔からここは児宮などと呼ばれた神社で、八幡は後からのものなので、本体は児子社。

 

所在地  名古屋市北区志賀町1丁目65 地図
創建年  不明
旧社格・等級等  村社・十一等級
祭神  應神天皇(おうじんてんのう)
 

児子八幡社の略史

★私の資料より引用
もともとは児の宮、あるいは児の御前社と呼ばれていた。

もとは錦神社の東、西志賀村にあった。

安永年間(1772~1740)より、尾張藩主が何度も参拝し修理費等を与え庇護し、

神社からは御札守などを差しあげていた。
明治7年、現在の東志賀の地に移ってきた。

神殿と拝殿は、もとの西志賀より移したものだが、石鳥居は明治37年に建立したもの。
最盛期にはいろいろな神事が催され多くの人が参拝したという。

子供が病気にかかれば児子宮にきて祈る。

児子宮は子供の成育に、なくてはならない神社だった。

子供の守神様として、昔から多くの人々に敬われてきた神社です。


★北区史跡散策路より引用

通称児子宮(ちごのみや)といい、末社の児子社は古来より虫封じの神として信仰が深い。

代々尾張藩主も、幼少時に虫封じをさずかったといわれる。

 

デジカメ

☟鳥居の左側の石碑

※「長久」は終わることなくいつまでも続くこと。

☟鳥居の右側の石碑

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☟社殿の右側にある摂社

左の摂社は左から地主社、津島社、多賀社、保食社、山神社の五社が祀られている。

右の合社には左から八釼社、神明社、熊野社の三社が祀られている。

☟摂社の右側にあり

☟社殿の左右にある「伊藤萬蔵」さん寄贈の石碑

☟社殿の左あり

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☟北西部の高台に東向きの秋葉神社があり

↓横から

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☟尾張名所図会より

(特記)

児子八幡社を訪ねる…北区志賀町1-65

 

(日めくりより)

今日(19日)の言葉

『今日考えて明日語れ』  

 👅 👅

軽々しく話して後悔しないよう、よくよく考えてからしゃべるようにするのがよいという教訓。

 

(21,332歩)