先日、
鯱城学園での研究発表の際、
清須越えについて話をし終えた後、
学友から
「清州」と「清須」の違いについて質問があり。
👇
私の回答です
☟
※現城名の「清洲」と現在の市名「清須」の違いについては
…安土桃山時代までは「清須」が用いられていたが、
江戸時代に「清洲」と記された書物が出てきた以来「清洲」と称されるようになる。
明治には「清洲町」となるも、
平成17年(2005年)に周囲の3町合併した際に新市名が「清須市」と決定される。
(付記)
① もともとの清須は、これまでの清洲町よりはるかに広い範囲をさしていたのです。
② 3町(清州町・新川町・西枇杷島町)対等合併した際「清須市」としたのは、
従来の清州町⇒清州市では他の2町を吸収合併したような形になるので、
古い時代の「清須」を採用された。
(追記)
☟清須市章
👅名鉄「新清洲駅」…所在地:清須市新清洲一丁目1番地1
👅JR駅名「清洲駅」…所在地:稲沢市北市場町古三味
↓
(日めくりより)
今日(2日)の言葉
『知恵と力は重荷にならぬ』
👅
知恵と力はありすぎても重荷にならず、たくさんあるほうがいいということ。
👅
意味:知恵と体力はいくらあっても邪魔にはならず、あり過ぎて困ることはないので、あればあるほどよい。
(20,356歩)