明治期、名古屋市東区七小町にあった七ヶ寺について | 「洋ちゃん」のひとりごと

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明治期、

名古屋市東区七小町にあった七ヶ寺について

 

昭和51年住居表示変更により泉二・三丁目に変更されています。

 

七小町の町名の由来等について

↓東区史よりスキャン

↓ネットWikipediaより

当地には高岳院・善光寺・養蓮寺・遍照院・普蔵寺・正覚寺の7寺院があり、「七ヶ寺門前」と称した。

この「ヶ」が「小」に置き換えられたものという。

沿革

1871年(明治4年) - 鍋屋町裏・七ヶ寺門前により、愛知郡七小町として成立。

1878年(明治11年)12月20日 - 名古屋区成立に伴い、同区七小町となる。

1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市七小町となる。

1908年(明治41年)4月1日 - 東区成立に伴い、同区七小町となる。

1976年(昭和51年)1月18日 - 東区泉二丁目および泉三丁目にそれぞれ編入され消滅。

↓ひがし見聞録より引用

ひとりごと

七箇寺について…ネット等より調べました

①普蔵寺
普蔵寺は祥景山と号す。

名古屋市昭和区高峯町48。

以前は、名古屋市東区七小町(元は東寺町)あり。
萬松寺の末寺。

元は名古屋村にあったが、名古屋城築城の折りに七小町(現在の東区泉)に移る。

普蔵寺は慶長の初め頃、御鷹部屋の南(現在のウェスティンキャッスルホテル周辺)に浄安瑞清大和尚によって開かれる。

昭和20年、名古屋大空襲により焼失したため、
昭和48年現在地に移転しました。

 

②善光寺

名古屋市東区筒井1-14-30 

足利義満将軍の時代、嘉慶2年(1388)黒田合戦により当寺は廃滅し、愛知郡名古野村(現名古屋市西区幅下町)に移転したところ、慶長遷府の折(家康の九男、徳川義直が尾張藩主となり慶長15年城を清州より名古屋に移転した時)、名古屋市東区七小町(当時東寺町という)に移された

太平洋戦争の空襲により焼失し、昭和28年(1953)に至り戦後復興のため現在地に移り、本堂、庫裡を全部新改築して本格的復興をみる。

 

③養蓮寺

宏綱山 養蓮寺【ようれんじ】

名古屋市千種区池上町2-10

七小町・昭和初期まで
(京都知恩院末)(浄土宗鎮西派)(阿弥陀如来)

 

④遍照院

名古屋市東区泉2-19-23

(毘沙門天)(元和年間(1615)江戸)(京都知恩院末)

(阿弥陀願所6番(名古屋百観音65番(府下地蔵5番(府下六地蔵)

(付記)

遍照院の門外道路沿いに鎮座するお地蔵様…東区泉二丁目19-23 

 

⑤高岳院

名古屋市東区泉二丁目21番17号

持名山菩提心寺高岳院。
初め甲斐国新府にあって教安寺と称した。

慶長13(1608)年、家康の命により平岩新吉が、仙千代(家康の第六子、藩祖義直の舎兄、法名高岳院殿)菩提のため、清須城外に移転し高岳院と号し、家康尊崇の寂誉呑宿(教安寺八世)を開山とした。

同16年、城を名古屋に遷す際、現在の地に移る。

爾来国守は代々黒印を納め諸堂を修築したが、今回の戦禍により国宝山門(清須城黒門)を始めことごとく焼失した。

昭和31年本堂、本年には書院、庫裡を再建。
寺宝には徳川秀忠文書、平岩主計頭新吉の黒印等がある。

檀徒には、通し矢の星野勘左衛門、絵の小田切春江、陶の平沢九郎等がいた。

(付記)

にタイトル

地下鉄・高岳駅の由来と高岳院(名古屋市東区)

としてブログしました。


⑥正覚寺(のち円通寺墓所)

 調べるも、現況等について…???。

正覚寺(のち円通寺墓所)…熱田区へ移転か・確認できず…???》


⑦東漸寺

明治14年に春日井市知多町4-66へ移転。

山号は法音山

浄土真宗本願寺派

 

↓(参考)

(特記)

東区七小町(現、泉二丁目)町名の由来について

名古屋市東区七小町と七箇寺