地下鉄・高岳駅の由来と高岳院(名古屋市東区) | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

地下鉄、桜通線に高岳駅があります。

      「洋ちゃん」のひとりごと

「高岳駅」の由来について調べました。

・実は、私「洋ちゃん」は、現在の住居に引っ越す前55年間、東区泉二丁目

 (旧住居表示は七小町の場所)高岳駅の近くに住んでいました。

・今、懐かしい思いをいだきながらこのブログを書いています。


「高岳」について

・以前(昔)は、このあたりは「高岳町」の町名でした。

・昭和51年住居表示により、この「高岳町」は消滅し泉二丁目となる。

・「高岳駅」は、この「高岳町」が由来です。
   

「高岳町」の町名の由来について

・江戸期以来の町名。

その昔、前津(中区)付近まで海が入り込み、その北方に汐(潮)見山と命名された小

 高い山があり尾張名勝の一つになっていた。

・のちに、この小山に高岳院が建てられ,

  その名により町名は「こうがくいんちょう」

  または高岳院門前「こうがくいんもんぜん」と呼ばれていたが、

 高岳町「たかおかちょう」とされたのは明治四・五年の頃である。

・なお「岳」を「おか」と読むようになった経緯は明らかではない。

                     (ひがし見聞録より一部引用)

「高岳院」についてです。

(名古屋市東区史跡散策路より)

・浄土宗。

・慶長13年(1608)平岩親吉が、家康の第8子仙千代の菩提を弔うため甲斐から清須に移建。

・慶長16年(1611)現在地に移りました。

・旧国宝であった山門は清洲城の黒門を移したものでしたが、戦災で失われる。


(追記)もう少し詳しく調べる

高岳院は、

・浄土宗・知恩院の末寺で持名山と号す。

・徳川家康の信頼が高かった平岩親吉が慶長13年(1608年)に、

  徳川家康の八男で六歳で早逝した仙千代(高岳院殿)の菩提のため、

   甲斐(現 山梨県韮崎市)から清州城外に移建して‘高岳院”とした。

・慶長16年(1611年)清州越により現在地に移った。

当時の寺領は3千坪余りの広さであり、

 本堂の裏には汐(潮)見山という小高い丘があり、

  江戸時代には城下南東からの敵を見張り、

   大事があれば知りに向かって狼煙(のろし)を上げる場所だったという。

 

・清州越の黒門を移築した山門は、

  国宝に指定されていたが昭和20年の空襲で(戦災で)焼失。

・現在の山門は、昭和24年に建中寺から譲り受けたものです。

・国道41号、19号の新設拡張などによって寺域は縮小した。


「洋ちゃん」のひとりごと

高岳院(尾張名所図会)


高岳院の山門です。
  

山門前にある名古屋市教育委員会設置の名勝標札
  「洋ちゃん」のひとりごと

  高岳交差点
  「洋ちゃん」のひとりごと

 ⑭の場所が高岳院です

 

(21,545歩)