昨晩、
サッカーワールドカップ(W杯)で、
日本は初戦でドイツに2:1で逆転勝利…!!
後半30分、堂安選手の同点ゴール
後半38分、浅野選手の勝ち越し弾
劇的な勝利に感動しています。
↓
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一昨日(22日)中村区にあります
名古屋市秀吉清正記念館で開催中の
特別陳列
加藤清正ー戦国武将の信仰と祈りー
を鑑賞…。
☟展示について…パンフレットより
加藤清正は、
日蓮宗の熱心な信者として知られる。
清正死後「清正公(せいしょうこう)」という神に祀られ、その信仰は全国に広まる。
清正の信仰と祈りを紹介する陳列品を展示。
※撮影禁止
(付記)
私「洋ちゃん」
「清正公(せいしょうこう)」について紹介する展覧会を、
数年前に、秀吉清正記念館で鑑賞した記憶があります。
展示構成
1.加藤清正の登場
加藤清正は永禄5年(1562)に、尾張国愛知郡中村に生まれたとされる。
幼少時の行動は、長浜城主であった羽柴(のちの豊臣)秀吉に仕えたといわれる。
天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いで、清正は戦功を挙げ、一躍の出世を遂げた。
以後、秀吉も勢力拡大にあわせて功績を重ね、出世をとげていく。
2合戦
清正は天正13年(1585)父の菩提寺として大坂に本妙寺(日蓮宗)を創建。
天正16年(1587)に肥後(現熊本県)の北半分25万石の領主となり、九州北部に多くの日蓮宗寺院を創建した。
清正が使ったと伝わる武具・甲冑には、その信仰心をあらわしたものが残されている。
3妙行寺と清正
妙行寺は、名古屋市中村区に所在する日蓮宗の寺院。
慶長15年(1610)に清正が名古屋城の普請に携わった時に、その余材をもらい受けて自身の生誕地にこの寺を再興したとされている。
境内には清正をまつる清正公堂があり、清正ゆかりの寺宝や、清正を慕う人たちから奉納された書画など、多くの品々を伝える。
4清正公信仰 -神になった清正-
清正は慶長16年(1611)に熊本で死去したが、後に「清正公」という神として、崇敬されるようになった。
その信仰は全国的に広がり、親しみを込めて「せいしょうこうさん」と呼ばれ、勝負ごと、商売繁盛、盗難よけなどが祈願された。
👅パンフレットをスキャン
☟表面
☟裏面
栞をスキャン
(特記)
↓秀吉清正記念館に向かう途中にありました。
加藤清正の略史
(追記)
「加藤清正誕生地」の名勝標札…中村区中村町字木下屋敷22(妙行寺境内)(中村区名勝標札 №1)
2018年12月18日にタイトル
「清正山・栄立寺に加藤清正公ゆかりの石があり…熱田区神宮2-2-12」
2017年6月16日にタイトル
としてブログしました。
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