今朝、
床の間に
明治末から~昭和の前期頃に活躍された中京画壇の重鎮
石河有粼の画軸「秋草(萩)に鶉」を掛け楽しむ。
↓有粼の落款
相当以前に入手した作品で自然の消耗も大きく、折れ目もありますが大切にしている書軸です。
我が家のすぐ近くにあります「どんぐり広場」で咲く「萩」を見てから思い出して掛けました。
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萩と鶉の図柄は多く見かけます
万葉集より
鶉鳴(うづらな)く古(ふ)りにし郷(さと)の秋萩を思ふ人どち相見つるかも
歌意
鶉の鳴く古びた里に咲く萩。
その萩を気心合った者同士で共に眺める事ができ、とても嬉しゅうございます。
↓石河有粼の略歴
石河有粼の略歴…ネットより引用
(1870~1952) 明治~昭和の日本画家。愛知県生。本名は正徳。字は和卿。号は有隣、両鶴軒、千石斎。 尾張藩国老石河正基の三男として生まれる。 園田忠監につき土佐派を学び、その後前田正忠に西洋画、織田杏斎に南北合派を師事する。 高尚な画風を展開して花鳥画、山水図を最も得意として日本美術協会会員に就任。 博覧会や絵画共進会で褒状、銀牌、金牌を数多く受賞。 新古美術会常務理事、日本美術協会委員をつとめる。 多くの門下生を育て上げるなど名古屋画壇の重鎮的役割を担った。昭和27年歿、82歳。 ↓中京書家画人考よりスキャン |