私「洋ちゃん」は、
東区東桜学区内に55年間住んでいました。
学区内にあった町名のほとんどは表示変更により消滅しています。
幼少の頃に馴染んだ町名に思い出が多々あります。
懐かしみながら、
東桜学区内の旧町名の由来をボツボツ・シリーズで調べていきます。
その1…東区上竪杉町・下竪杉町の町名の由来
↓Wikipediaより引用
当地には富士浅間社が鎮座しており、境内には神木として老杉があり、
名古屋城造営の際に切り倒したこの杉の木を寝かせておいたことに由来する。
↓東区史よりスキャン
↓手持ち資料より
富士浅間宮の境内は広大で、そこに大きな杉の神木があった。
名古屋城築城の普請小屋の為に、この木を切ろうとすると、斧を持つ者が次々に苦しみ倒れた。
そこで浅間宮を現西区の巾下に遷座し、手厚く祀ったところ無事に切ることができた。
切った大木を南北の向きに置いたので、南北向きの町を竪杉ノ町と呼ぶようになる。
竪杉ノ町は細長い町だったため、
明治初期に石町を境にして北の上竪杉町と南の下竪杉町に分けられた。
昭和55年(1980)の住居表示変更により、上竪杉町・下竪杉町の大部分は消滅したが、
現在もウィルあいちと外堀通りの間の短い部分だけに上竪杉町が残されている。
(残された部分は山吹学区)。
↓ひがし見聞録より
(付記)
↓尾張名所図会よりスキャン…『杉の町乃起源』
↓中日新聞より
(特記)
富士神社について
↓場所
冨士神社…東区東桜1-4−12(名古屋市教育委員会設置の標札巡り…東区№11)
にタイトル