早朝散歩で、
北区山田町4-42-1(山田幼稚園正門前)に立つ
「山田次郎重忠舊里の碑」
(山田重忠の館(屋敷)址)
を訪ねデジカメ…A.M6時20分頃写す
↓山田幼稚園の入り口に「邸址の碑」が建つ…赤矢印
山田 重忠(やまだ しげただ)について
↓北区史跡散策路より転用
・承久の乱で勤皇の雄として武勇をとどろかし、後に、山田の荘を治めた山田次郎重忠の館は
以前に金神社のあったこのあたりにあったといわれる。
・その舊里(ふるさと)の碑が残されている。
↓ネットより引用
尾張出身。初名は重広。
建久3年(1192年)源頼朝によって尾張国山田庄の地頭に任じられる。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将・御家人。山田重満の次男。
『承久の乱』で宮方の武将として活躍して、壮絶な戦没を遂げた。
👇名古屋十名所…上記写真の青矢印の石碑に注。
大正13年8月
新愛知新聞社(現在の中日新聞)名古屋十名所の一つとして選ばれる。
(特記)
「山田重忠の館(屋敷)址」について
2016年3月24日にタイトル
2015年2月17日にタイトル
としてブログしました。
こちらもご覧ください。