尾張・三河の「東海道宿場」…№2(岡崎(38番目)~藤川(37番目)~赤坂(36番目)) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、

収集している、

歌川(安藤)広重筆の版画絵、

東海道五拾三次・保永堂版

の絵葉書をシリーズで紹介させて頂ています。

 

🔶№2(岡崎(38番目)~藤川(37番目)~赤坂(36番目))

 

 

◎岡崎(38番目)矢矧之橋

眼前を流れる矢矧川に架けられた矢作橋は、

幕府によって架けられた東海道随一の大橋でありました。

「長さ二百八間(約370メートル)…東海第一の長橋」

この大橋に大名行列の一行をずらりと並ばせることで、その長さをより一層強調したかったと思われる。

版画の右上部分について拡大

対岸に姿を見せているのが、徳川家康が生誕したとされる岡崎城の天守閣である。

 

◎藤川(37番目)棒鼻ノ図

棒鼻とは棒端ともいい、

「ここより何々宿」と書かれた宿場の境界に立っていた棒杭のことです。

幕府の命を受けた使者たちを、

宿場の外れまで迎えに出た人々の緊張した様子が描かれている。

この図中央の二頭の馬に御幣が立てられていることから、

毎年旧暦の8月に幕府から京都の御所へ馬を献上する一行を描いたものといわれている。

 

◎赤坂(36番目)旅舎招婦ノ図

 旅舎招婦ノ図…宿場情緒を画く赤阪旅舎招の図

※旅人宿の内部、夕食ころの風情、宿場の賑やかな泊り風俗を描く。

御油と赤坂の区間は、わずか二キロメートル弱という東海道中で一番短い旅程。

前景の中央には大きな蘇鉄、化粧をする女たち、風呂から上がって来た客、室内で横になってくつろぐ人、膳を運ぶ女性など、あわただしい人々の様子がユーモラスに描かれている。

当時の生活用具も丹念に描かれ、風俗的にも興味が感じられる。

(追記)

尾張・三河の「東海道宿場」…№1(宮宿(41番目)~鳴海(40番目)~池鯉鮒(知立)(39番))