私「洋ちゃん」、
尾張名陽図会を所持しています。
(付記)
「尾張名陽圖會」:文政頃(推定)の著述とされる。高力種信(猿猴庵)著
図会の中に記載されている、
照遠寺(東区東桜2-6-21)を訪ねデジカメしてきました。
↓青矢印の場所
↓+の場所
照遠寺(しょうおんじ)について
↓手持ち資料より
(付記)
二天門とは
左右に一対の仁王の像を安置した寺院の門。
また、多聞天と持国天の像を安置した門。仁王門。
↓Wikipediaより引用
別名 御堂照遠寺。
山名 妙長山
宗旨 日蓮宗
創建年 室町時代
※享禄4年(1531年)、久遠院日珍が祖師堂と釈迦堂を建立して青遠山妙長寺と号した。
慶長15年(1610年)の清州越しで名古屋市東区に移り妙長寺に寺号を復した。
承応3年(1654年)に寺号を照遠寺に改号し、陽雲院日政(7世)が祖師堂を再建した。
昭和34年(1959年)伊勢湾台風で祖師堂が倒壊した。
尾張名陽図会より「照遠寺」の部分をスキャン
↓文章の詠み
👇拡大
デジカメ
↓楼門 唯一、名古屋移転当時のまま現存する建物
(付記)
楼門とは…ネットより
社寺の入口にある二階造りの門。
現在では、下層に屋根のある門を二重門と呼ぶのに対して、
特に、下層に屋根のない二階造りの門をいう。
↓多聞天と持国天の像を安置
↓鐘楼…明治19年(1886年)に鐘楼が再建された。
↓本堂
↓境内にあり…宝塔
↓楼門の左側にあり
👅赤矢印の場所に建つ石碑
※下は拡大
(追記)