「断夫山古墳」の名勝標札…熱田区旗屋一丁目10(神宮公園)(熱田区名勝標札№14) | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

私「洋ちゃん」、熱田区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています…№14

 

その一環で、

先日、

「断夫山古墳」名勝標札をデジカメ

設置場所 熱田区旗屋一丁目10(神宮公園)

 

↓名古屋市教育委員会設置の名勝標札

断夫山古墳の航空写真(ネットより転写)

「洋ちゃん」のひとりごと

↓愛知県神宮公園事務所の前にあり

 

断夫山古墳について(熱田区史跡散策路等より引用) 

・東海地方最大の前方後円墳です。

・6世紀初頭の築造で全長約151メートル。

・農耕の発達、

 人口の増加で次第に支配者家族の姿が歴史に登場、

 大和朝廷が大きくなりつつあった古墳時代の、尾張地方の姿を今に伝える大きな遺蹟である。

・古来、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃宮簀媛命(みやずひめのみこと)の墓と伝えられていたが、

 現在では一帯を支配した尾張氏の長の墓とみられている。

・1987年(昭和62年)7月9日に国の史跡に指定された。

 

資料より

ヤマトタケルノミコトの死後 ミヤズヒメが 再婚しなかったことから夫を断つ山 「断夫山(だんぷさん)」 と名付けられた説があり

 

名古屋の史跡と文化財より

 

(付記)

・尾張氏の妃(娘)宮簀媛命が日本武尊と結婚した縁から熱田神宮が創建されたという伝えからみても、

 尾張氏は大和朝廷と姻戚関係を結びながら次第に勢力を伸ばしていった。

・古墳のある位置は名古屋台地の西の麓に築かれた頃は、すぐ下まで海がきているという景勝地だった。「洋ちゃん」のひとりごと

熱田神宮公園の敷地も含めてかつては、 熱田神宮の管理下にあったが

 第二次大戦後に名古屋市の戦災復興事業に伴い借換地となり、

 1980年(昭和55年)愛知県の所有となって現在に至る。

 

『尾張名所図会』巻四愛智郡に、

当時鷲峯山と呼ばれていて断夫山古墳が紹介されている。

下記のような挿図が描かれている。  

(追記)

愛知県埋蔵文化センターで開催中の秋の埋蔵文化財展「発掘された愛知の城」を鑑賞

としてブログしました。

そこより抜粋しコピーする。

👇

 

(特記)

断夫山古墳…熱田区旗屋1丁目 熱田神宮公園内

にタイトル「断夫山古墳を訪ねる

としてブログしました。

こちらも是非ご覧ください。

 

「船頭重吉の碑」の名勝標札…熱田区白鳥二丁目7-16(成福寺)(熱田区名勝標札 №13)

「白鳥古墳(白鳥御陵)」の名勝標札…熱田区白鳥一丁目2(熱田区名勝標札 №12)

「笠亭仙果出生地」の名勝標札…熱田区白鳥三丁目9-11(熱田区名勝標札 №11) 

「円福寺」の名勝標札…熱田区神戸町301(熱田区名勝標札 №10) 

「熱田魚市場跡」の名勝標札…熱田区木之免町(大瀬子公園秋葉神社)(熱田区名勝標札 №9)

「夜寒里跡」の名勝標札…熱田区夜寒町5-1(旗屋小学校)(熱田区名勝標札 №8)

「景清社」の名勝標札…熱田区神戸町402(熱田区名勝標札 №7)

「道標」の名勝標札…熱田区伝馬一丁目2-25(熱田区名勝標札 №6)

「岡部又右衛門家跡」の名勝標札…熱田区白鳥三丁目10-8(熱田区名勝標札 №5)

「裁断橋跡」の名勝標札…熱田区伝馬二丁目5(熱田区名勝標札 №4)

「徳川家康幼時幽居地」の名勝標札…熱田区伝馬二丁目13-3(熱田区名勝標札 №3)

林桐葉宅跡…熱田区神宮2-10(熱田区名勝標札 №2)

「藏福寺の銅鐘」の名勝標札…熱田区神宮2-11-12(熱田区名勝標札 №1)

としてブログしました。