11月19日、
朝日神社(中区錦3丁目)の境内にある「透垣(すいがい)」が
国登録文化財に選ばれたとの報があり。
↓新聞記事参照
透垣とは…ネットより
板か竹で、少し間をあけて作った垣。
柱の間に通した貫(ぬき)の表裏から細板または割竹(わりだけ)を交互に打ち並べたもの。
先日(2日)に「朝日神社」を訪ねデジカメ
↓朝日神社
↓朝日神社透垣(すいがい)
名古屋大空襲(昭和20年)の被災を免れる。
天保12年建造と伝わる。
↓透垣(すいがい)…いろいろな角度から
↓案内が置いてありました。
透垣(すいがい)、
別名(通称)、
藩塀(はんぺい=まがき)と呼ばれています。
目隠し塀。
例)
神社の向かいの牢屋敷の景観を覆うために設けたとの説があり。
朝日神社について
↓中区史跡散策路より引用
・慶長16年(1611)「清須越し」にともなって朝日村(現、清須市)から
この地に移り広小路神明宮として親しまれる。
・祭神は天照大神と天児屋根。
・境内・児宮社の赤丸神事は子どもの厄よけとして知られる。
・広小路通りに面して立つ透垣は、向かい側にあった尾張藩牢屋
の「不浄除け」の名残として珍しい。
(追記)
・明治9年(1876)3月に現在の社名となり郷社に列している。
・昔は尾張国春日井郡朝日村に御鎮座の社とある。
↓ネット等より
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | 郷社・七等級 |
祭神 | 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) |
・創建は、清須城下の朝日郷(朝日村)にあり、
秀吉の実母である朝日殿と、
秀吉の異父妹で家康の正室だった朝日姫(旭姫)の氏神だった、
及び、
伊勢の神宮の神領地(御園)だった関係で天照皇大神を祀っていた。
➡清須時代は朝日神明などと呼ばれていた。
↓尾張名所図会より…透垣(番塀)が描かれています。
境内でデジカメ
手水舎・本殿・摂社・朝日稲荷・山車庫
↓公孫樹(いちょう)が綺麗に咲く
(付記)
朝日神社について
にタイトル「朝日神社(中区錦三丁目22-21)に行く…「広小路」について」
としてブログしました。
(追記)
👇2023年11月4日にスキャン