先日(6月14日)
松田橋(国道一号線交差点)に赴き、
八丁畷の由来と松田橋遺構をデジカメ。
↓+の場所
八丁畷(はっちょうなわて)について
都々逸(どどいつ)発祥地、昔の宮の前の東のはずれが八丁畷の入口である。
(名古屋市文化財叢書第91号より転写)
昔の宮の宿の東のはずれ、江戸時代の東海道は八丁にわたって松並木があり、小坂の多い、昼も寂しいところといわれていた。
海上から遠望すると一筋の縄に見えるから、八丁縄手といった。
↓別の資料より
東海道の山崎橋あたりから宮の宿までの間、八丁 ( 約873m 1丁 ( 町 ) =109.09m) に松並木が植えられ、海上から遠望すると一筋の縄に見えるから、八丁縄手といった。
戦前まで、その松並木が残っていた。
「武江年表」慶長9年 ( 1604年 ) のころ、道の左右へ松を栽 ( う ) えられ、夏は木陰に休らい、冬は風を除きて、旅人の裨益 ( ひえき ) となし給えり。
空港線松田橋交差点西北に「八丁畷公園」( 国土交通省 ) があり、「東海道分間延絵図」を見ることができる。
図には、山崎・熱田間に、松並木が描かれており、八丁畷が確認できる。
公園の案内には、「天正3年 ( 1575年 ) 織田信長が、4人の奉行をおき、道の整備をしたとき、“浜の道”が作られ、八丁畷付近も道が整備された。
その後、東海道として整備された、、、」とある。
また、公園には昔このあたりに架かっていた松田橋が復元されている。
↓案内板をデジカメ
↓案内古地図
(八丁畷公園敷地にある「東海道分間延絵図」)
(特記)
八丁畷公園(八丁畷址)を訪ねる;松田橋復元…瑞穂区の史跡巡り(その13)
としてブログしました。
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