私「洋ちゃん」、千種区内にある
名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています…№
その一環で、
先日、
「相応寺」の名勝標札をデジカメ。
設置場所 千種区城山町一丁目6
(付記)
相応寺について
↓名古屋市教育委員会設置の名勝標札…№11
相応寺について
↓千種区史跡散策路より引用。
・寛永20(1643)年、藩祖義直が生母於亀の方(相応院)のために東区山口町に創建。
・昭和7年、現在地に移転。総門と本堂の額は義直の自筆である。
↓ ネットより
・浄土宗鎮西派寺院。京都知恩院の末寺。
・寛永二十年(1643)初代尾張藩主徳川義直が生母お亀の方(相応院)の追悼のために、
現在の東区山口町に建立。
・義直の没後はその遺体を定光寺に葬るまでの間安置供養した。
・本尊は木造阿弥陀如来立像。
・昭和九年(1934)赤塚・山口地域の開発のためにと現在地に移転。
・本堂・駿河御殿(空襲で破壊)・鐘楼・山門・表門を移築。
・移転当時京都東山の清水を模した舞台をつくったが後に撤去。
・山門と本堂の額は義直の書、鐘には林道春の銘がある。
・東西三十間南北十二間の本堂を有す。
・本堂の右前に相応院の墓碑、階段脇に茶筅塚がある。
↓…名古屋の史跡と文化財よりスキャン
デジカメ
↓茶筅供養
昭和9年、自然石の岩組の上に『茶筌塚』の三字を刻んだ茶筅形の石碑建立。
遠州流家元主鑑堀田宗達宗匠の筆。開眼式には全国より茶人、雅客が参列。
日本最初の茶筅供養を執り行う。
↓清水の舞台
移築後の相応寺は山水景勝の城山の地に建てられたため、
京都の清水寺を模して、本堂前に清水と同じ舞台が造られた(戦災により現存していない)。
京都清水寺から秘仏千手観音像の分身(現在未公開)を賜り、
毎月18日に観音様の法要が執り行われ名古屋の清水寺として多くの市民が参詣されていた。
↓東(日泰寺)方面
↓伊藤萬蔵さん寄贈の石碑
○標石
正面 (梵字キリーク)
阿彌陀如来四十八願所
第二番札所 相應寺
右面 名古屋市西區塩町
伊藤萬蔵
左面 明治四十三年建之
↓尾張名所図会より
(特記)
千種区内にある名勝標札巡りについて
「「末盛城跡」名勝標札…千種区城山町二丁目88(城山八幡宮)(千種区名勝標札 №10)」
「「安田塚」名勝標札…千種区南明町2丁目5(光明寺)(千種区名勝標札 №9)」
「双体地蔵石碑」名勝標札…千種区幸川町3-6(性高院)(千種区名勝標札 №8)
「日泰寺奉安塔」名勝標札…千種区城山新町一丁目(千種区名勝標札 №7)
「旧兼松家武家屋敷門」名勝標札…千種区田代町瓶杁(東山植物園内)(千種区名勝標札 №6)
「元古井伝説地」名勝標札…千種区今池一丁目4-18(高牟神社)(千種区名勝標札 №5)
「光正院」名勝標札…千種区今池一丁目5-26(千種区名勝標札 №4)
「鉈薬師」名勝標札…千種区田代町四観音通西(千種区名勝標札 №3)
「張振甫墓所」名勝標札…千種区下方町7丁目6(千種区名勝標札 №2):振甫町の町名の由来
「尾張藩医浅井家累代の墓」名勝標札…千種区城山町2-47(千種区名勝標札№1):「浅井図南」
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