「尾張藩医浅井家累代の墓」名勝標札…千種区城山町2-47(千種区名勝標札№1):「浅井図南」 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、千種区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています…№1

 

その一環で、

先日(2月10日)、

「尾張藩医浅井家累代の墓」名勝標札をデジカメ

設置場所 千種区城山町2丁目47(常楽寺境内墓地にあり)

 

名古屋市教育委員会設置の名勝標札…№1

↓常楽寺境内墓地

 

(特記)

私「洋ちゃん」、尾張画家による古書画に結構関心があります。

・浅井家累代の江戸中期の医師で本草家でもある

 「浅井図南」の書画を博物館等で何度も拝見しています。

 ★「浅井図南」の略史を下述しました。


「浅井図南」ゆかりの墓地である旨、この名勝標札で知りました。

 

浅井 図南(あさい となん)について…Wikipediaより引用

・宝永3年11月13日(1706年12月17日)天明2年8月5日(1782年9月11日))

・江戸時代中期の医者

・名は政直、後に惟寅。通称は頼母。幹亭、篤敬斎とも号した。


・医師・浅井東軒の子として生まれる。

・享保10年(1725年)父・東幹が尾張藩の藩医となって名古屋に居を移したが、図南は京都に留まって医業を行った。

画に優れ、特に墨竹画については、宮崎圃、山科李蹊、御園中渠とともに「平安の四竹」と称された。

後に父・東軒の死を受けて、父の跡を継ぎ尾張藩医となる。

・天明2年(1782年)77歳没。

 

(付記)

↓ 下記の図録から(私の所有)から「浅井図南」の作品をスキャン(23ページ)


(20,951歩)