大野木城…西区大野木町2丁目(福昌寺を含む周辺が、かつての大野木城との由) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、西区大野木町2丁目にある福昌寺を訪ねた際、

福昌寺含むその周辺に、

かつての大野木城があったとの由。

 

大野木城について…ネットより

織田家の赤母衣衆の一人で、

鉄砲調達の奉行も務めた原田直政の居城です。

※赤母衣衆とは

 織田信長に近侍する家臣(馬廻、小姓)から選り抜かれた集団の一つ

 

大野木城

・所在地  西区大野木町2丁目

  

・立地  平城

・築城時期  永正年間(1504~21)

・築城者  塙右近

・主な城主  塙氏・原田氏

・現状  福昌寺

歴史

・永正年間(1504~21)に塙(ばん)右近が築いたお城で、代々塙氏の居城となる。

塙氏は天正期の初め(1573)頃まで織田信長に仕え、

 赤母衣衆として信任厚く、直政の代に信長から九州の名族・原田氏の姓を賜り、

 『原田備中直政』と名乗る。

 

・記録では永禄年間(1558~70)に丹羽長秀と共に鉄砲調達の奉行を務め、

 石山本願寺攻めにも参加し天王寺砦を守備していましたが、本願寺側の総攻撃を受けて討死。

・直政が亡くなった後の塙氏は信長からも冷遇され、この地から離れる。

 

・その後は佐々成政、豊臣秀吉、田中吉政に仕え、

 江戸時代になると塙宗悦と名乗って医者になり、将軍家に仕えた。

・また大坂の陣で名を馳せた大坂方の武将・塙団右衛門はこの一族といわれ、

 福昌寺の墓地に宗悦の墓と並んで供養してあります。

・現在は、遺構なし。

 

(特記)

福昌寺について、

「福昌寺」の名勝標札…西区大野木2丁目138(大野木保育園)(西区名勝標札 №12)