法応寺に行く…千種区青柳町6-25 | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

先日(24日)千種区青柳町6-25にあります、

西山浄土宗のお寺様「法応寺」を訪ねました。

 

 ↓場所

 

 

法応寺について…名古屋市千種区史跡散策路より引用

・天正15(1589)年、清洲に創建。

・清洲越えを経て、現在地に移転する。

・境内には、芭蕉門下の月空庵露川の「丸屋こそよけれ四角な冬ごもり」の句碑がある。

 

早朝散歩で出掛けましたが(A.M.6時30分頃着)、当日は、東からの日照りが強く

猛暑のなかデジカメ…。

↓本堂

↓月空庵露川の「丸屋こそよけれ四角な冬ごもり」の句碑

この句は延享元年(1744)、門人白梵子が建立したものである。

初め大須の七ツ寺境内に建てられていたが、その後菩提寺の法応寺に移され、戦災によって現在地に移建された。

↓入口の左(道路沿い)に鎮座

府下36地蔵第14番札所として町民の信仰が厚かった。

 

(付記1)

法応寺は大名古屋八十八ヶ所遍路…9番札所でした。

大名古屋八十八ヶ所遍路について

・昭和九年(1934年)、釈迦入滅二千五百年、弘法大師千年大遠忌にあたる年であるとして、

名古屋市内の弘法大師と縁のある寺院が慶讃会を結び、新たに「大名古屋八十八ヶ所」の霊場を開創した。

・事務所は、「新愛知新聞社」事業部内に置き、

幹事として、願成寺、福寿院、高顕寺、相応寺、正覚寺、白林寺、七寺、東界寺、大師寺、法蔵寺の各住職が就いた。

 

(付記2)

月空庵露川(沢露川)について

・江戸前・中期の俳人。伊賀生。通称藤屋市郎右衛門、別号に月空居士山軒・山窟

・はじめ北村季吟・吉田横船に、のち松尾芭蕉に学ぶ。

・46才で落飾、月空庵を結んだ記念に『庵の記』を編む。

・諸国を遊歴し門人も多い。

・寛保3年(1743)歿、83才。