春日神社…中区大須3丁目46-34 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(30日)

中区大須3丁目46-34にあります

春日神社を訪ねました。

  

 ↓場所

 

春日神社について

☟ネットより引用

創建年  伝・948年(平安時代中期)または938年以前

旧社格・等級等  郷社・七等級

   武甕槌命(たけみかづちのみこと)…鹿島神宮の祭神であり、中臣氏の氏神

祭神 経津主命(ふつぬしのみこと)…鹿島神宮とは対となす香取神宮の祭神であり、物部氏の氏神

   天児屋根命(あめのこやねのみこと)…中臣氏の祖神で中臣氏、藤原氏の繁栄から出世の神

   比売神(ひめがみ)…天児屋根命の妻

 

天歴2年(948年)に、

この地域の郡司だった藤原某が大和国の春日神社(春日大社)から勧請して建てたと伝わる。

または天慶(938年)以前ともいう。

 

☟中区史跡散策路より

・「春日社」「春日大明神」ともいい、

 天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とするこの神社は、朱塗りの社殿が色鮮やか。

・名古屋地方には数少ない「春日さん」のひとつ。

・創建は天暦3年(949) と伝えられ、

 尾張藩2代藩藩主・徳川光友出生のとき、生母・於尉の方が祈願したとも伝えられる。

・奈良の春日大社に模して造られている。

 

☟由緒略記

当社の創立の起原は称徳天皇の御宇神護景雲年間奈良春日大社創祀に際し常陸国鹿島神宮の御祭神武甕槌命の御神霊を大和国春日山に御遷座の途次当尾張国山田荘(現在地)に御假泊あらせられたるに因み天暦二年時の郡司藤原某南部春日野を模して春日四柱大伸を奉祀したものである。その後文亀年間前津小林城主牧与左衛門尉長清(正室織田信長の妹)の崇敬を受け牧氏退転の後尾州藩主も亦代々崇敬の誠を捧げ殊に二代徳川光友公の母君乳の疾に悩まれし折神木椎の木を採りて祀られ平癒しその頃より婦女はこの木を崇め何時の頃よりか変じて産の守となった。惜しくも戦災の為椎の木は焼失した。現在当市中央の地にあり氏子数五千余戸を擁す。

 

デジカメ

↓狛犬ではなく「鹿の像」が

☟拡大

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境内にて

↓百度石

     

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↓境内西側にて…本殿の西に建つ

 

☟資料より

 

(付記)

春日神社は上前津交差点北西角にあり

上前津の地名の由来について

上前津は古くは前津と呼ばれており、

それは古代すぐ南が海だった頃に津(湊)があったことから名づけられた。

 

(特記)

名古屋市内にある「春日神社」について

春日(かすが)神社に行く…中区大須三丁目