先日、名東区高針4-864にあります
蓮教寺を訪ねてきました。
境内にある下記の5件の建造物は2017年に国の登録有形文化財に登録されています。
・山門及び脇塀 …文化9年(1812年)の建立。
・本堂 …宝暦8年(1758年)の建立。本尊の阿弥陀如来立像は、慈覚大師の作と伝えられる。
・書院 …山門と同じく、文化9年(1812年)の建立。
・庫裏…宝暦13年(1763年)の建立。
・鐘楼… 明治15年(1882年)の建立。
場所…赤矢印
蓮教寺につい
☟ネットより引用
・平安時代長徳年間に創建。
・天台宗に属し、高針山と号しました。
・山内に誓光坊・智根坊・泉蔵坊の塔頭もありましたが、承久年間、兵火により焼失したと伝えられる。
・永禄4年(1561)、喜雲院宮真智上人がこのお寺に滞在した折、
蓮光(中興の祖)が教えに感銘し、天台を出て真宗高田派となる。
・蓮蔵院・蓮華蔵教院・明眼寺ともいわれたが、
元和年間に法雲山蓮教寺と改称され、現在地へは正徳6年(1716)に移転。
・本堂は宝暦8年(1758)、庫裏は同13年に上棟。
・その後、寺門隆盛に伴って、文化9年(1812)に書院と山門が建立されました。
・この伽藍の全容は、
当時の名刹のひとつとして「尾張名所図会」(天保12年(1841)刊)にも紹介されている。
※江戸後期には景勝地として『尾張名所図会』に牧の大池(牧野池)と並べて描かれている。
・隆盛期の主要堂宇が揃って残る数少ない例であり、江戸時代の真宗寺院の典型を知る上で貴重
なものです。
☟名東区史跡散策路より
真宗高田派のお寺です。
創始は長徳年間(995年から998年)といわれています。天台宗に属していました。
現在の本堂は宝暦8年(1758年)に建立されたものです。
寺宝として涅槃図がありますが損傷がはげしく公開はしていません。
山門は本堂の50年程後の建造ですが無地の総けやき造りで細かい装飾もほどこされ立派なものです。
境内には同寺の塔頭である梵音寺も残っています。
☟名古屋の史跡と文化財より
デジカメ
↓参道入口にて…法雲山蓮教寺(れんきょうじ)
↓山門…国の登録有形文化財
↓山門、左にあり
↓脇塀…国の登録有形文化財
↓本堂・書院・庫裏…国の登録有形文化財
↓鐘楼…国の登録有形文化財
↓境内にて
☟手水舎
☟境内にあり…同寺の塔頭である梵音寺本堂???
☟境内にあり
(付記)
無量寿とは
「無量」という言葉は、直訳すると「量ることができない」という意味、これは「限りがない」という意味です。
「寿」という言葉は、「寿命」という言葉があるように「いのち」という意味です。
よって「無量寿」というのは、直訳すると「限りない命」という意味。
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↓新聞記事:国登録有形文化財…登録年月日:2017.05..02
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↓尾張名所図会より