旧、白壁町筋の町名の由来;東白壁公園及び町内にある主な建物 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(8日)、

東区旧白壁町筋を散歩しながらデジカメ…(早朝散歩)

↓西から東方向

↓東から西方向

 

旧、白壁町筋の町名の由来

↓ネットより引用

江戸時代は名古屋城下の1町で禄高にして三百石級の組頭階級の武家屋敷が多く立ち並んでいた。

中でも豊田太郎左衛門の武家屋敷は当時としては珍しい白塗りで、これが見事であったためその後周囲の屋敷もこれを真似て白壁の屋敷が多くなったことから地名になったとされる。

↓手持ち資料より

慶長遷府にさいして、豊田某という武士がこの地に居をかまえ、高塀をはじめて白壁として以来、

武家の住宅地として堂々たる白壁の塀が建ち並んで、自然にだれいうとなく白壁町の名称が生まれた。

 

東白壁公園(東区白壁5-24.)

↓東白壁公園(上記地図)

 

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町内にある主な建物

↓マンション「ファヴォール白壁」…旧料亭楠

↓百花百草

 大正九年に地元財界人の邸宅として建てられた。

↓櫻井邸

 明治三十八年(1905)の建築。

 明治時代の木造洋館。

↓旧豊田利三郎邸の門・塀

 豊田佐吉の娘婿であった豊田利三郎の旧邸宅。

 門は薬医門屋根は桟瓦小壁は黒漆喰腰は堅羽目板基礎は切石(みかげ石)で当時のまま残る

↓文会書庫跡

↓料亭か茂免

 明治44年(1911)木造瓦葺二階建で造られた。

 昭和20年(1945)料亭か茂免が買い取り昭和23年料理旅館として営業を開始した。

👆角地に立地し、長く続く白い塀がシンボル的な存在…。

 

↓(付記)…料亭か茂免の迎え

↓(付記)結婚式場

↓旧櫻明荘(旧料亭)

↓金城学院高校

↓ 西方面…金城学院高校から少し東辺りから

↓東白壁小学校