今朝、
昨夜来の雨の影響か少し冷えるなか早朝散歩に出発、
飯田街道、
下記、地図の①~③辺りに赴きデジカメ。
記
↓①広小路葵交差点一筋交差点北東角
①雲龍山 乾徳寺(けんとくじ)…中区新栄2-1-10
曹洞宗のお寺、
創建年 万治2年(1659年)
・本尊の木造阿弥陀如来坐像は定朝の作と伝わり、
延宝8年(1680年)に伊藤次郎左衛門によって寄進さる。
・戦後の名古屋市復興事業に伴って、
市内の寺院にある墓地を移設する事業にあたって、
・当時の住職で曹洞宗の県総務所代表であった高間宗道(1914年 - 1989年)は、
1946年(昭和21年)から16宗派よりなる「戦災復興墓地整理委員会」の初代委員長を務め、
各宗派・寺院と名古屋市との調整役として尽力した。
・1973年(昭和48年)11月に広小路通りに面する雲竜ビルを竣工する。
☟ 乾徳寺 門前にて
☟ 雲竜ビル・乾徳寺の裏側・乾徳寺3本の樹木があり
②新栄町・新栄三丁目(園教寺)辺り
圓教寺(中区新栄2-13-18)の所に一里塚があり、
「旅人のこころや涼し一里塚」の句碑(塵鏡庵?)が立つと文献にあり。
近隣の住民に聴取深聞したところ数年前に移転(売却)済みで、
当地跡にはマンションが建っているとの由。
(付記)文献より
新栄3の交差点のあたりに一里塚があり。
少し脇に円教寺があって、今はそこに一里塚跡の石碑が保存されている。
石碑は、引き取り手がなく、寺が預かっていた。
☟園教寺の跡地に建つマンション
(特記)
園教寺の直ぐ近くにある「白山神社」があり
名古屋城東南鎮護の社 新栄 白山神社を訪ねる…中区新栄三丁目27-24
③菊里町交差点にて…信号の向こうは飯田街道方面へ
(参考)
飯田街道と呼ばれるようになったのは明治41年以降で、
それ以前は、
赤池までは駿河道、あるいは駿河街道と呼んでいた。
赤池からは、拳母街道と伊那街道に分かれていた。
飯田街道の途中、平針から岡崎までは岡崎街道・姫街道と呼ばれた。」