名古屋城東南鎮護の社 新栄 白山神社を訪ねる…中区新栄三丁目27-24 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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昨日の夕方、中区新栄三丁目27-24にあります

 名古屋城東南鎮護の社

    新栄

      白山神社を訪ねました。
    

(お願い)

2013年12月9日にタイトル「白山神社古墳」・・・中区新栄三丁目 としてブログしました。

重複した部分もあります。

是非、こちらと併せてご覧ください。

 

創建年 伝・712年(奈良時代初期)
旧社格・等級等 郷社・八等級
祭神 菊理姫命(くくりひめのみこと)
伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冊命(いざなみのみこと)

 

白山神社…北鳥居


≪御祭神≫

  菊理媛尊(きくひめのみこと)、

  伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、

  伊弉冉尊(いざなみのみこと)。

 の御三神を祀る。

 

末社

  床主宮…当神社古墳に埋葬された方を祀る

  菊里屋根神…菊里町(神社の北方)に祀られていた屋根神様を境内地に合祀する


≪境内地≫

・平坦な市街地の中、突如として現れる小高い丘全体を境内地とする。

・この丘は、五世紀中頃に築かれた前方後円墳『白山神社古墳』である。

・近年の古墳調査で、古墳を取り囲む周濠も確認され円筒埴輪等が出土している。


≪社記≫

・元明天皇の御代和同五年(712年)白山本宮白山比咩(よう)神社より、御分霊を戴く

 …以後人々の崇敬を寄せられる。

(創建は和銅五年(712年)にこの地の人々が霊山白山に登り、白山大神の神様の印を頂き、この古墳の山頂に社殿を設けて祀り「白山社」として尊敬する)


・往古は清須朝日村にあり、そこに鎮座の年月は不明である。

 清須の旧知に似た現在地を選び、慶長年間中に遷都する。

 

・尾張徳川初代藩主の義直公はこの白山社を厚く尊敬し、名古屋城築城の祈願された。

 

慶長16年(1611年)名古屋城が完成、義直公は当社に「白山妙理大権現」称号を付与

 

以来名古屋城東南鎮護にの社として尾張藩歴代藩主から厚い崇敬を寄せられる。

 

・明治14年12月には村社から郷社に昇格し「白山神社」と改称する。

 

デジカメ
 

     

   北参道…円墳側
    
    手水舎

拝殿…円墳上
  

  神楽殿

南参道…方墳側
 
 南鳥居…突き当りが拝殿

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末社

床主宮…当神社古墳に埋葬された方を祀る


菊里屋根神境内を探しました。

 ※下にデジカメした辺りに「菊里屋根神」があると思います???。

 …菊里町(神社の北方)に祀られていた屋根神様を境内地に合祀する

 

上にデジカメした石碑の後ろにありました…古く由緒ありそうでしたので写す
 

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境内

    
   

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神社の外に出てデジカメ

西側から

西南角から

東側から

 

 

 

(付記)

名古屋市中区には「白山神社」は3社あり。

・白山神社 (名古屋市中区大須) - 名古屋市中区大須 鎮座

・白山神社 (名古屋市中区新栄) - 名古屋市中区新栄 鎮座。旧郷社

・白山神社 (名古屋市中区丸の内)- 名古屋市中区丸の内、鎮座

 

(参考文献)
より
     

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より

 

(参考です)

北入口にあります『標石』について
     
     
標石の右側 明治三十九年七月建之 標石の左側 彫りなし

★この標石は「伊藤萬蔵」の寄進の石碑では???  

 …確認できませんでしたが「彫りの字体」「建之」より推定しました。

 

 

(21,587歩)