「人見璣邑宅跡」の名勝標札…愛知県庁南、東海財務局敷地にあり №6 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(2日)、

早朝散歩で中区大津橋近辺を散策中に、

名古屋市教育委員会設置、

尾張藩史上屈指の大政治家

「人見璣邑(きゆう)宅跡」の名勝標札を見つけました

 

場所:愛知県庁南、東海財務局…中区三の丸3丁目3番

 

私「洋ちゃん」、人見璣邑については全く知らない人物でした。

 

帰宅後、

ネット、名古屋市史で「人見璣邑」について調べる。


人見璣邑は号(姓名は人見弥右衛門

・1729-1797(享保14年10月24日~寛政9年2月2日死去)、69歳。
   江戸出身。江戸時代中期の武士。

・名は黍。字は叔魚。号は璣邑(きゆう)。
・尾張名古屋藩士の叔父人見貞安の養子となり,藩主徳川宗睦(むねちか)の
 長男治休(はるよし)の侍講をつとめる。
・細井平洲とともに藩校明倫堂の学規を定めている
・その後勘定奉行を兼ねると、宗睦の命により農政改革をすすめ、代官所
 を各地に設置、天明5年に豊作となると藩主から黄金を下賜された。
・このとき普請奉行水野千之右衛門と協力して決壊した安達、庄内の両川
 を疏鑿、分流し治水工事を行った。
・職を辞して引退した後も月俸を受けている。
・墓は昭和区石仏町1の80善昌寺

 

↓ (下)のデジカメ…標札の左、建物は東海財務局


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