龍泉寺(りょうせんじ)・亀井水(かめいすい)を訪ねる…瑞穂区井戸田町 | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

先日(8日)、

瑞穂区井戸田町4-90にあります

龍泉寺(りょうせんじ)を訪ねました。

(注)

守山区にある龍泉寺とは関係はなく、読み方も「りゅうせんじ」とは異なる。

 

実は、私「洋ちゃん」何度も訪ねている場所です。

 

龍泉寺・亀井水について(名古屋市瑞穂区史跡散策路等より引用)

伝承によれば、行基が開山した真言宗薬師寺を嚆矢とし、

平安時代には

 龍泉庵、

 龍雲庵、

 妙喜庵、

 福伝庵、

 蔵伝庵

の五つが開かれたが、いつしか龍泉庵以外は滅び応仁の乱の頃に龍泉庵が龍泉寺となった。

室町時代の末期頃、真言宗から曹洞宗に改宗すると同時に現在の圓通寺の末寺になる。

 

・「尾張誌」によれば創建は応仁元年(1467年)

・山号 亀井山(きせいざん)

・曹洞宗、熱田円通寺の末寺。

 

・本尊薬師如来は聖徳太子作と伝えられる。

・この薬師仏は、無病息災の仏として村民の信仰を集め、東海道から

 このお寺に参拝する人のための道標があり。

・境内には昭和58年まで残っていた大黒塚の塚上にあった大黒石

 (原始五輪塔と  いう説もある。)という古石が保存されている。

・境内の歯痛地蔵は名古屋大空襲の名残であり戦争の悲惨さを伝える。

・源頼朝の誕生地であるという説があり、表門脇の亀井水は、

 頼朝が産湯の水に使ったといわれている。

・かっては、近くの笠覆寺(笠寺観音)と、規模を争うほどの大きなお寺

 であったであった。

・亀井山 龍泉寺は、近くにある津賀田神社の『神宮寺』に当たる。

 

 

平清盛により流刑となり、治承3年(1179年)に井戸田にきた、

太政大臣藤原師長は龍泉寺の庭を好んで訪れ、放免されるまで幾度も訪れている。

江戸時代の頃(1713年)には藤原師長の故事から諸堂の一つに槐隠堂の額を掲げるが、建物は昭和20年の名古屋大空襲で焼失したので現在は存在をしない。


源義経が源頼朝の援軍に向かう途中に亀井水のある龍泉寺を訪問し、産土の神である津賀田神社に参拝した。

武運長久を祈願した時に激しい雷に会い肝をつぶして般若心経を読誦し、写経をした後には落雷は起きなくなった言い伝えがある。

 



↓ 山門


↓ 境内・本堂

↓ 山門へ向かう途中の左側、

 本堂を背景に赤い前掛けを付けた石地蔵が祀られていました。

↓参道正面に赤い前掛けの付けられた地蔵「歯痛地蔵尊」
 全身に亀裂が入り、顔は半分欠けてしまい痛々しい姿、


↓ 本堂の手前に石が二つ
 右の石は平安末期の原始五輪塔と言われている。
 (昭和58年まで残っていたと言われる、

  大黒塚の塚上にあったもので大黒石と呼ばれる古石)
 が鎌倉時代の薬師寺開山覚一塔


(付記) ↓ ネットより引用

 イメージ 8

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

亀井水(かめいすい)

     


源頼朝の誕生〘久安3年(1147年)

産湯に「亀井水」の水に使ったといわれている。

※亀井の名は津賀田神社社守、亀井忠太夫の屋敷が近くにあった。

・名水が湧き出た井戸。

・第二次世界大戦の後、しばらくの間「亀」が水面を覆うほど生息してり、

 1955年(昭和30年)頃まで井戸水が湧き出ていた。 

★頼朝を取り上げた乳母は亀井六郎の母だといわれ、亀井一族はこの地豪族であり、

 亀井屋敷は龍泉寺の西にあった。

元来、

井戸田の地は鎌倉古道が通ったところで、熱田との関係は密接で熱田社の繁栄を支えていた。

 

 


      
     
付記)

頼朝の母は熱田大宮司藤原季範の娘由良御前で、由良は源義朝の正室であった関係で、

※源頼朝の生誕の地については、熱田区の誓願寺とする説があり。
しかし、

頼朝の母が、どこで頼朝を生んだのかは定かではないのが通説。

 ・源氏の館があった京都ともいわれ、

 ・母の実家の熱田、

 ・あるいは瑞穂区龍泉寺ともいわれ諸説ある

 

(付記)

熱田神宮の西、誓願寺は大宮司、千秋家の下屋敷があった。

――――|熱田大宮司藤原季範 

           |

     義朝――――母(由良御前…熱田大宮司藤原季範)

        |

       頼朝

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

龍泉寺・亀井水(りょうせんじ・かめいすい)を訪ねる・・・瑞穂区

 

先日、瑞穂台地の南端に立地する(瑞穂区井戸田町)、

「龍泉寺・亀井水」を訪ねデジカメしてきました。


源頼朝の誕生地という説があるお寺です。

表門脇の亀井水は、源頼朝産湯の井と伝えられています。

(注)源頼朝産湯の井について2014年1月11日に(妙光山)誓願寺…熱田区 

 としてブログしました。

 こちらと併せてお読みください。


龍泉寺・亀井水について(名古屋市瑞穂区史跡散策路等より)

曹洞宗、熱田円通寺の末寺。

行基の開山とも伝えられ「尾張誌」によれば創建は応仁元年(1467年)。

本尊の薬師如来は聖徳太子作と伝えられる。

この薬師仏は、無病息災の仏として村民の信仰を集め、東海道からこのお寺に参拝する人のための道標があり。
かっては、近在の笠覆寺(笠寺観音)と、規模を争うほどの大きなお寺でした。

境内には昭和58年まで残っていた大黒塚の塚上にあった大黒石(原始五輪塔という説もある)という古石が保存されている。 

境内の歯痛地蔵は名古屋大空襲の名残であり戦争の悲惨さを伝える。

          

龍泉寺の山門です

山門の脇にありました

↓ 本堂です
            

境内にありました…歯痛地蔵尊(歯痛地蔵は顔の一部と片手の部分がない)

大黒塚の塚上にあった大黒石(原始五輪塔という説もある)です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


      
      

(付記)

頼朝の母は熱田大宮司藤原季範の娘由良御前で、由良は源義朝の正室であった関係で、

※源頼朝の生誕の地については、熱田区の誓願寺とする説があり。

しかし、

頼朝の母が、どこで頼朝を生んだのかは定かではないのが通説です。

源氏の館があった京都ともいわれ、母の実家の熱田、あるいは瑞穂区龍泉寺ともいわれ諸説ある。