清須市西枇杷島町にある「藤原師長ゆかりの地」を訪ねる…小場塚弁財天(市寸島社)、恋待白菊の琵琵 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(25日)、

清須市西枇杷島町にある「藤原師長ゆかりの地」を訪ねました。

実は、

5月中旬に、私「洋ちゃん」所属している瑞穂区某史跡案内の会の皆さんと、この辺りの史跡巡りを計画しました。

私が、今回、幹事を担当することになり下調べを兼ねながら赴く…。

 

(付記)

名古屋市瑞穂区には『藤原師長謫居跡』の史跡があります。

藤原師長謫居跡は

治承3年(1179)、平清盛のクーデターによって尾張国井戸田へ流され、

 師長は琵琶の名手で、配流の1年有余を鳴海潟を眺めながら琵琶を弾ずるなどして自らを慰めた場所です。


    

 

小場塚弁財天(市寸島社)…西枇杷島町宮前2-56

・治承5年(1181年)に藤原師長が帰京する際に,恋仲になった井戸田の豪族の

 娘が土師野の近くの池に身を投げました。

・その後,娘を弔うために姨(おば)塚という塚を立てて弁財天を勧請したのが始

 まりとされている。

・かつては琵琶塚弁財天または小場塚弁財天と称していたが,明治11年(1878

 年)に市寸島社と名称を変える。

・毎年5月第1日曜日に例祭が行われている。


社宝に琵琶塚弁財天縁起版木[市文化]があり、これは嘉永7年(1854年)の神社の再建の際に,神社の由来を琵琶悲恋物語と共に記述して説明したもので,この地域の人々によって大切に保管されている。

 ↓案内板…下に拡大

 
↓ 小場塚弁財天(市寸島社)にて

 
↓ 全景


 (付記)

小場塚神明社
慶安5年(1652年)の創建で、以前は少し南西にあったが、東海道新幹線の建設により昭和38年(1963年)に現在地に移された。

祭神は天照大神で、摂社に津島社、末社に秋葉社がある。


 ↓ 末社・秋葉社…本殿の右にあり

 ↓ 移転・落成記念碑

 

『恋待白菊』の琵琶のモニュメント西枇杷島庁舎に隣接する花咲公園にあり

・治承3年(1179年)に平清盛によって井戸田(瑞穂区)に配流された前関白太政大

 臣の藤原師長は、土地の豪族の娘と恋仲になる。

・翌々年に許されて京都に戻る際、娘は別れを惜しみ、土師野の里(新川町)まで

 ついて行ったが、師長はふびんに思い、自分の持っていた「白菊」の琵琶と守り

 本尊の弁財天を娘に渡す。

・しかし娘はこの世をはかなんで近くの池に身を投げてしまう。

・この白菊の琵琶伝説にちなんで、

 彫刻家の流政之氏により設けられたのがこの琵琶のモニュメント。

・平成元年(1989年)の世界デザイン博にも出展され、その後現在地に移された。


 

(特記)

尾張名所図会に書かれている「藤原師長」に関する部分をスキャン


 

(17,059歩)