先日(6月29日)
一宮市(旧尾西市地内)、旧美濃路にある、
冨田一里塚を訪ねる。
冨田一里塚について…ネットより引用
・東海道と中山道とを結ぶ美濃路(中山道垂井宿と東海道宮の宿間)の萩原宿と起宿の中間に
築かれたもので、道の両側に塚がある。
・13か所の一里塚の1つ。
・現在、道の両側に原形をとどめるのは、美濃路ではここだけである
・塚の規模は、両塚とも高さ1.8m、底部の幅、奥行とも9.2mの方形で、
東側の塚上に胸高囲1.7m、西側の塚上に胸高囲2.2mの榎がみられる。
・東塚は富田字古川に、西塚は富田字立石にある。
・美濃路の起渡船場跡(県指定史跡)が北西1.5kmのところにあり、両者の存在によって、
近世の交通関係の歴史を知ることができる交通関連史跡として貴重なものである。
デジカメ
↓ 美濃路の名古屋から向かって右側にあり…この碑の左後方に東塚の「榎」があり➡写っていません
↓ 左;おこし(起) 右;つしま(津島)の石碑がありました
(付記)
↓すぐ近く(起方面に向かう)にありました➡下の資料参照
美濃駒塚の殿様と言われた尾張藩家老石河佐渡守が名古屋へ参勤するために開いたのが駒塚道。
石碑の右が美濃路、左が駒塚道になります。
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↓西塚:東塚があり