平田橋事件・殉職記念碑を訪ねる | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(2月19日)西区円明町(新川沿いに建てられている)

平田橋事件・殉職記念碑城を訪ねる

  

↓名古屋市西区史跡散策路より引用

・明治時代の自由民権運動の中、過激派による反政府暴動にて殉職した枇杷島

 署の警官を追悼して建てられた。

 

↓もう少し詳しく

・明治17年板垣退助を中心とする自由民権運動のなかで一部過激派による反政

 府暴動が各地でおこった。

・同年8月12日午前2時ころ、枇杷島署の巡査が警ら中、平田橋付近において数

 名の賊と出会い格闘の末殺された。

・その冬、知多郡の役場へ押し入った盗賊の一味がつかまり事件の犯人も分か

 った。

・昭和2年に追悼のため記念碑が建てられ、以後慰霊祭が毎年同日に行われて

 いる。


 

↓ 「殉職記念碑」の向え側に「馬頭観音」が鎮座。

 「殉職記念碑」との関連は???

 

(付記)

平田橋事件についてネットより引用

自由民権運動の激化は,1884年(明治17)の秩父事件で一応終息したが,各地の自由党員の一部には,全国的な蜂起を画策している者もいた。

 

そのような状況下,愛知自由党の青年党員の中には,軍資金を集めるため,博徒とも合流して高利貸しの家に押し入って金を強奪する者もいた。

 

強盗は50数回に及んだが,その過程で,名古屋近郊の平田橋で警ら中の巡査二人が惨殺される事件が起きた。

 

この事件をきっかけに20数名が検挙された。

この一連の事件を名古屋事件と呼んでいる。

 

自由民権運動末期の過激な事件であったが,その過程で亡くなった2人の巡査の殉難記念碑が平田橋近くに建てられている。

 

(19,622歩)