先日(10日)、
守山区幸心一丁目901番の1にあります
間黒神社を訪ねました。
↓神社の掲示板をスキャン
創建年 1636年(江戸時代前期)
社格等 村社・十四等級…明治5年に村社に列す
祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
多紀理姫命(たぎりひめのみこと)
多岐津姫命(たぎつひめのみこと)
市杵島姫命(いちししまひめのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
デジカメ
↓ 南向き
↓ 参道に入りすぐ右側の小さい山の上に鎮座する神明社
矢田川堤防付近に住んでいた人が、神明社は自分たちの神様で、大昔、間黒神社神域に移された伝わる。
(付記)
この地域は低湿地帯のため、
度々水害に見舞われ甚大な被害を被った経緯があり、
石垣を築いて建てられた水屋作りの社…下述の正殿も同様
↓参道の中央右側にある百度石及び拝殿の左にある手水舎
古川(神戸川)によって、南北に分断。
明治38年、越水や決壊であふれ出た水を流す「排水路」として開削されたのが始まり。
本殿前に架かる「神明橋」。
平成20年、欄干の取り換え工事が行われる。
↓正殿の右側に並ぶ摂社
↓拝殿にある彫刻
↓ 正殿の左側からデジカメ
↓ 正殿の右側からデジカメ
↓ 正殿の右側から少し離れた場所に一つだけ鎮座する社
↓ 神社、西側道路沿いからデジカメ
↓B29墜落現場
正殿裏には墜落時の損傷を残した欄干が保存。
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幸心城(平城)が、
間黒神社の西に旧字名「城跡地区」があったとされる。
・時代は源平時代とも、室町期ともいう。
・江戸中期の村絵図にも存在したことは明示されている。
・城主は山田左衛門慰とされているがいつの時代の人物なのか分からない。
※一説には山田重忠の一族が住んでいたとされている。
遺構らしきものは残っておらず、どの程度の規模であったのか一切不明。
(文献 尾張の古城より)
(付記)
↓ 帰宅途中、川沿いに車で走行中、下記の石碑を見つけデジカメ
(14,221歩)