鬼頭 景義…熱田新田開発の功労者:中川区関連 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先ほどブログしましたが、

中川区中島新町4-1201にあります

道龍山 空雲寺に、

墓碑「鬼頭 景義」があります。

 

その「鬼頭 景義」について調べました。



(付記)

↓ 港区春田野三丁目(南陽神社北)に設置されています

鬼頭 景義(きとう かげよし)…ネットより

・?-1676 江戸時代前期の開拓者。延宝4年7月15日死去。

 

・新田開発の第一人者。

・17世紀、27年の間に27カ村石高2万3千石を開拓した。
・鬼頭勘兵衛(吉兵衛)景義は源為朝の子孫といわれ八田村(中川区八田町)に在住。

 

土木工事の技術に優れた才能を持ち、寛永8年(1631)から明暦3年(1657)までの27年間、新田開発に東奔西走し、尾張西部を中心に美濃まで合計27ヶ所の新田を開き、その総石高は2万3千石にも及んだという。

・中川・港・熱田区の中島新田、中野内・外新田、東・西福田新田、熱田新田などが含まれる。

また萱津(かやづ)用水。木津(こっつ)用水をひらいた。
・晩年は仏門に入り、自ら道龍山空雲寺を中島新田に開く。

 

・空雲寺には景義の墓碑と木像がある。

・新田の開拓に尽力した景義が熱田新田の干拓工事に携わっていた時、夢枕に観音さまがたち、「この場所(須成)に水の引くところがある。そこに鶴がとまったらその場所から埋め立てを始めるように」告げられ、その通りにしたら首尾よくいったので番割ごとに観音を祀ったと言う口伝が番割観音の十二番に残っている。(異説もあり)

(特記)

以前、訪ねた十二番を転写。

十二・十三番割観音堂(港区須成三丁目)

民家風の建物に二堂が同居

↓昭和45年6月4日発行の下記の書物よりスキャン


(16,358歩)