名古屋市教育委員会設置の標札巡りをしています…東区№27
資料に、東区橦木町2-24 、山吹小学校の敷地内、
石黒通玄・済庵父子宅跡
の標札が紹介されています…下記にスキャン
しかし、小学校内を探すも、見当たらず…撤去済み?
★山吹小学校の校区内の住民に訪ねるも見当たらないとの由。
↓
石黒通玄・済庵父子について調べました
・石黒通玄・済庵父子は、ともに尾張藩の藩医である。
息子の済庵は、
本草学(薬草学・漢方医学)に長ずるとともに、蘭法医(西洋医学)としても名高く、尾張で初めて、腑分け(人体解剖)を行ったことで知られる。
↓ 東別院の北にある橘公園に赴き「おためし場・腑分けの跡」の案内標識を
デジカメ石黒済庵(1787-1836)について…ネットより
・江戸時代後期の医師,本草家。天明7年生まれ。
・家は代々尾張名古屋藩医。奥医師にすすむ。
・文政4年名古屋ではじめて死体の解剖をおこなう。
・水谷豊文らと名古屋の本草学会「嘗百(しょうひゃく)社」を結成。
・天保6年伊藤圭介らと本草会をひらき,「乙未(いつび)本草会物品目録」を刊行した。
・天保7年5月2日死去。50歳。名は正(政)敏。別号に富春堂。
(特記)
↓ 山吹小学校
(16,590歩)