片岡源五右衛門出生地…芳野一丁目(名古屋市教育委員会設置の標札巡り…東区№28) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、

名古屋市教育委員会設置の標札巡りをしています…東区№28


資料に、

片岡源五右衛門(かたおかげんごえもん)出生地…芳野一丁目

の標札が紹介されています下記にスキャン



↓先日、現地に赴くも標札なし…撤去済み?

 ★いつ撤去されたか???

   辺りはコインパークに。

  



片岡源五右衛門について調べる…参考文献 ひがし見聞録

・寛文7年(1667)~元禄16年(1703)

・尾張藩士の熊井重次の次男として、現東区芳野一丁目(旧、赤塚町)に生まれる。

・8歳で叔父である赤穂藩士の片岡六右衛門の養子となり、

 9歳で片岡家100石の家督を相続し、浅野内匠頭長短の側に仕えた。

・2度の加増により都合350石を知行。

・四十七士の中でも1500石の大石内蔵助に次いで家禄の高い人物となった。

・主君の仇討ち後、大石内蔵助らと高輪の細川邸で切腹し、泉岳寺に葬られた。        
         

 ↓ 資料をスキャン



(付記)

以前、

平和公園にある「片岡源五右衛門の墓碑」を訪ねデジカメしてきました。

🔶平和公園内の乾徳寺墓地内。
 
 


 乾徳寺霊園            片岡 源五右衛門の墓


(特記)

名古屋市千種区史跡散策路よりスキャン

墓碑銘「刃勘要剣信士」…義士の戒名には「刃剣」が使われている

  
   

(23,911歩)