名古屋名所団扇絵(十二景)《その1》:枇杷島橋風景 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、

昭和59年に中日出版社から発行された

名古屋名所団扇絵(十二景) 森 玉僊画 を持っています。

 

シリーズとして紹介させて頂きます《その1》

 

今回は枇杷島橋風景



枇杷島は

美濃路が整備されて以来、名古屋から中山道へ至る街道沿いの町として発展

さらに、名古屋の台所とも呼ばれ青果物市場があった。

 

枇杷島橋は元和八年(1622)に完成。

・東西に二つの橋を持ち大橋は七十間(約129m)小橋は二十七間(約50m)ある

 日本でも最大級の橋であった。

・川のなかには中島があり二つの橋をつないでいた。

 

「枇杷島」の地名由来には3つの説があり(ネットより引用)
①庄内川の中島(中州の島)の形が琵琶に似ていたことから。

(この中州は昭和33年の河川工事により取り払われた)
②昔、枇杷の木が多かったことから。
③平安末期、太政大臣の藤原師長が尾張国熱田の東井戸田に左遷された後に交際していた里長の娘が、翌年、師長が都へ帰るのを嘆き悲しんで、形見の琵琶を抱いて庄内川に入水した。

村人がその骸を琵琶と共に埋めて塚を築いて弔った。という『尾張雑記』に記されている伝説から。

これらの説のうち、
町内に琵琶塚を移動した琵琶塚弁財天社があることから、
③の説を支持する声が多い。

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(付記)
尾張名所図会に記載の枇杷島・枇杷島橋について



(23,606歩)