先日(16日)熱田区熱田東公園内にあります、
「名古屋陸軍造兵廠跡」碑をデジカメしてきました。
日露戦争中の明治37年(1904年)官営工場、東京砲兵工廠の分家として熱田分工場として出来る。
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(熱田区六野には明治30年(1897)に開設された鉄道車輛製造所があったが明治37年(1904年)に解散し、東京砲兵工廠が買収)
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約九万坪の敷地造成にあたり、名古屋市が明治38年(1905)から始めた精進川の開削工事で発生した土砂を買い取り埋め立てに充てる。
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(この地は、西側に東海道線、東側に新堀川(明治43年に精進川を付け替え改修)が流れ、材料や製品の輸送に適した地であった)
制度改正により、大正12年(1923年)名古屋陸軍造兵廠となる
★名古屋陸軍造兵廠は熱田兵器製造所と千種機械製造所からなる。
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昭和15年(1940年)には、名古屋陸軍造兵廠熱田製造所と改称され敗戦まで存続した。
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★この場所こそが日本軍の武器製造を担う重要施設とされ幾度も集中的な攻撃を受け、多くの犠牲者を出す。
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昭和54年に「名古屋陸軍造兵廠 記念碑建立委員会」によって、殉職者の冥福と世界平和を祈る為、この「記念碑」が設けられる。
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台座に鎮座しているものは「名古屋陸軍造兵廠」の「シンボルマーク」との由。
碑文より、このデザインは「名古屋城」の天守閣にある「金の鯱」を象ったものとの事。
名古屋陸軍造兵廠跡」碑
・左;彫刻「平和の心」 (H4 . 1寄附)
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(追記)
中京倉庫㈱の敷地にある