いにしえの稲葉地村を訪ねる…(③神明社(稲葉地城址))№3 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」中村区の某史跡案内の会に所属しています。

先日(12日)稲葉地地域の史跡案内を担当し無事終えてきました。

その際、作成した資料を基に、

「いにしえの稲葉地村を訪ねる」としてシリーズで紹介しています。
№3

     

      

③神明社(城屋敷神明社、上ノ神明社)城屋敷町4-10-1

  稲葉地城址

・祭神 天照大御神

・例祭 10月7日
     

・創建 正保4年(1647)以前

※城屋敷町にあり「城屋敷神明社」またの名を「上ノ神明社」とも呼ぶ。

 (鳥居西通り、稲葉地本通り以北を昔から「上ノ切」と呼んだ)

★鳥居脇に「稲葉地城址」の石碑が建つ。

社殿

現在の建物(神社)は昭和56年に一億円で着工再建された(コンクリート造り)

 
               

拝殿の扉に「五七の桐紋」が一対であり


境内社(末社)

・明治5年(1872)村社に列格され、大正4年(1915)9月にそれまで村のあちらこちらに鎮座されていた無格社の七社を末社として境内に祀る。



稲葉地城址

稲葉地城について

・天文5年(1536)以前、織田信長の伯父津田豊後守によって築城される。

・天正10年(1582)に四代小藤次が京都本能寺の変で戦死後、廃城になったと伝わる。

・この城跡の地近辺にはその末裔が現在も居住されている。

 

赤矢印は「稲葉地城址」

白矢印は「稲葉地村古城主 津田豊後守居城跡之石」

↓ 大正三年名古屋市によって建てられた石碑

★織田信長の母の姉は津田家に嫁ぐ➡母方から見た『伯父』

「稲葉地村古城主 津田豊後守居城跡之石」をデジカメ
  

★村絵図及び津田家の古文書によると、

 天保4年(1833)に城跡の畑から出てきた石で、畑主がこれを使用していた。

 その後、この地、神明社に移したといわれる。

 

この辺り棒の手(棒術)が奉納されていた。

(現在は行われていない)

明治35年、県営中村公園開園の式典、

昭和5年、大鳥居完成式典の際に披露する。


棒術記念碑が建つ…明治42年5月建立
 

↓ 東側にある鳥居の後ろ側にあり 

昭和六年四月建之寄附者棒術組

名古屋市併合記念と記された狛犬東側にある鳥居の後ろに狛犬一対にあり

氏子中

大正十年八月

★稲葉地村➡織豊村は名古屋市西区に併合される

 …大正10年8月愛知郡中村は名古屋市に合併(併合)し名古屋市西区となる
 (中村区は昭和12年に誕生)

 

東側にある鳥居、番塀・「村社 神明社」と記された石柱
 赤矢印が名古屋市併合記念と記された狛犬

 

(23,701歩)