豊国神社ついて…中村公園シリーズ №5 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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中村公園シリーズ №5です。

中村公園内にある

豊国(とよくに)神社について…6月19日にデジカメ片手に赴く


       
 

   

豊国神社

(中村公園歴史マップより引用)

・豊臣秀吉を祀る神社。

・摂社には、中村が生んだ戦国武将「加藤清正公」も祀られている。

・明治18年(1885)地元の有志が発案し当時の県令(県知事)の尽力を得て秀吉ゆかりの地に創建された。
※秀吉は死後豊国大明神という神として祀られるようになったが徳川の時代になるとその信仰は禁止された

 

参考)

戦国武将で神様になったのは、

 豊臣秀吉…豊国大明神

 加藤清正…清正公

 徳川家康…東照大権現

の3名のみ。

 

(付記)

関ケ原の戦い慶長5年(1600)により豊臣家は滅び徳川幕府260年間の間は豊臣の名前を出すことは禁止され神階は剥奪され神格は否定社領は召し上げられ神官は追放された


(注)…同名或いは同字の神社が全国にある。

明治元年(1868)明治天皇は「豊国社(ほうこくしゃ)再興」の沙汰書くを下した。

旧徳川幕府が滅ぼした豊臣家の顕影を復活させることで新時代の到来をアピールした。

明治元年(1868)京都に豊国(とよくに)神社を建立した。

明治5年(1872)金沢市に豊国神社、

明治12年(1879)大阪に豊国(ほうこく)」神社、

明治14年(1881)滋賀県長浜に豊国神社、

明治18年(1885)名古屋中村に豊国神社を創建。

 毎年5月18日の直前の土曜日、日曜日は「太閤まつり」が催され賑わう。

 

 

神社境内前にある案内標札 

   夢のまた夢  豊臣秀吉の辞世 ↓
 

栞よりスキャン ↓

  境内に植えてありました「ひょうたん」
  

デジカメ

突き当りが「豊国神社」

☆太鼓橋

鳥居の真中は神様が通るところとされ、人は端を通ります。

太鼓橋を越え「豊国神社」の途中にある

☆手水舎(てみずしゃ)=手水舎(ちょうずしゃ)

手水舎の軒…金色のヒョウタン、

水の出ているところにもヒョウタン

(実は、デジカメには写ってはいませんが、石組にもヒョウタンの模様が5個あります)
★ヒョウタンは、
秀吉の馬印

 …馬印は、戦国時代戦場において、武将が己の所在を明示するため馬側や本陣で長柄の先に付けた印。

手水の石碑の前面には、

五七の桐紋があり…「五七の桐紋」は豊臣秀吉公の紋所。

(参考)

織田信長は「木瓜紋(もっこうもん)」

           貼り付けた画像_2016_04_03_7_46

徳川家康は「葵紋」

豊臣秀吉は「五七の桐紋」

 

500円硬貨には「五七の桐紋」が施されています。
  

 (付記)

  

 


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