「貞祖院」を訪ねる…東区泉三丁目11-16 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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今日(19日)早朝散歩で東区泉三丁目にあります、

徳川家ゆかりの寺「喜秀山 貞祖院」を訪ねる

 
私「洋ちゃん」、何度も訪ねているお寺です。  

我が家からゆっくり徒歩で20分程で行けます。

       

喜秀山 貞祖院について

・宗派 浄土宗鎮西派

・本尊 木造阿弥陀如来坐像

・創建変遷 慶長十三年(1608)


(名古屋市東区史跡散策路より引用)

・松平忠吉の位牌所として清須に創建され寛保2年(1742)現在地に移転した

・天明2年(1782)焼失したが、

 明治5年建中寺にあった尾張藩主の御霊廟を譲り受け、本堂とした。


(山門の前に設置の標札をデジカメ)


(ひがし見聞録より抜粋)

・もとは清須にあり、玄白寺と号した。

・慶長12年(1607)清須城主松平忠吉(家康の四男で、二代将軍秀忠も同母弟)

 28歳で病死。

・翌13年、義母押加茂(おしかも)名はおみつが忠吉の位牌所として建立。

・開山は林杷上人。寺号の玄白は忠吉の法号である。

 

・慶長15年(1610)押加茂が逝去(せいきょ)その戒名より寺の山号と寺号

 を喜秀山貞祖院玄白寺とした。

・寛保2年(1742)現在地に移る


・天明2年(1782)1月14日の大火により堂宇すべてを焼失、その後は仮本堂

 が建てられていた。

・現存する本堂は、明治5年(1872)建中寺にあった尾張藩主の霊廟を譲り受け、

 本堂としたものである。


・建物は、木造入母屋造桟瓦葺、建坪106.8㎡。

・総漆塗りで、内部・外部ともに極彩色である。

天井は一面格子で仕切り、葵と菊の紋が描かれている。内部はよく保存されて

 いる。

 

訪ねた時は門扉・戸締り…フェエンス越にデジカメ

 

★2012年3月28日

  と

 2010年7月5日にタイトル「貞祖院」としてブログ。

 こちらより資料をスキャン…転移

❶2012年3月28日のブログより。

山門 ↓
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当時の名勝標札 ↓…現在の標札とは異なる
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貞祖院の左:本堂  右:庫裏
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本堂の外の天井の部分・・・漆塗りもかなり老朽化。剥げ落ちています。
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山門の右の建物 ↓           左の建物の内部 ↓
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手水舎…喜秀山と彫りあり           三猿…見ざる、語らず、言わざる(木製)
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↓天井は一面を格子でで仕切り、葵と菊の紋が描かれている。

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                    本尊と忠吉・押加茂(右)の位牌

2010年7月5日のブログより

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本堂です。
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本堂の横にあり、お堂に安置されている‘見ざる、言わざる、聞かざる”です(木製)

 

本堂の裏に庭園があり            茶室です。
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(追記)

お断り。

2012年3月28日

2010年7月5日

にタイトル「貞祖院」としてブログしていましたが、

今日のブログ内容とほぼ同一のため、先ほど削除しました。